THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

マルクス・アウレーリウス(2C)『自省録』岩波書店。

◆概要

【執筆動機】

成立の経緯、著作の意図、本文の伝承経路のいずれもが、今なお深い霧に覆われている。(荻野2009 p.3)

 

【想定読者】

読者を想定した通常の「著作」とは異なって「日記」や「備忘録」に近いかもしれない。(荻野2009 p.3)

 

【主張】

多岐にわたる

 

◆本文抜粋

○第1巻

【読書】注意深くものを読み、ざっと全体を概観するだけで満足せぬこと。(p.13)

少年への恋愛をやめさせること。(p.17)

memo.これは草

 

【過ち・運】もっとも私は機会があれば、そのようなことをしでかす性質を持っていたのであるが、神々の恩恵により、かかる試みに私を合わすようなまわり合わせが起こらなかったまでのことだ。(p.20)

 

【才能・運】修辞学や詩学やその他の勉強においてあまり進歩しなかったこと。もしこれらにおいて自分が着々と心境を示していると感じたなら、私はおそらくそれに没頭してしまったことであろう。(p.21)

memo.第一巻根底思想→「とにかくラッキーやったわ」

 

○第2巻

【早くやれ】思いおこせ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えていただいておきながらこれを利用しなかったか。(p.26)

 

【挑戦】せいぜい自分に恥をかかせたら良いだろう。恥をかかせからいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。(p.27)

 

【現在を生きる】何人も過去や未来を失うことはできない。(中略)人が失いうるものは現在だけなのである。(p.32)

 

○第3巻

【判断力】もうろくし始めると、(中略)すでに人生を去るべき時ではないかどうかを判断すること、その他全てこのようによく訓練された推理力を必要とする事柄を処理する能力は真っ先に消滅してしまう。(p.35)

 

【現在を生きる2】他のものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間に過ぎない現在のみを生きるのだと言うことを。(p.43)

 

○第4巻

【煩うな】その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、煩わしいのはただ内心の主観から来るものに過ぎないということ。もう一つは、すべて君の見る所のものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうと言うこと。(p.51)

 

【自律】君に害を与える人間がいだいている意見や、その人間が君いだかせたいと思っている意見をいだくな。あるがままの姿に物事を見よ。(p.54)

 

【自律・余暇】隣人が何を言い、何を行い、何を考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮るものは、なんと多くの余暇を得ることであろう。(p.55)

 

【普遍】昔使われていた表現は今ではもうすたれてしまった。(中略)すべてすみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。(中略)では我々の熱心を注ぐべきものは何であろうか。ただこの一事、すなわち正義にかなった考え、社会公共に益する行動、嘘のない言葉、すべての出来事を必然的なものとして、親しみのあるものとして、また同じ源、同じ泉から流れているものとして歓迎する態度である。(pp.62-63)

 

【魂と肉体】エピクテートスが言ったように「君は一つの死体を担いでいる小さな塊に過ぎない。」(p.65)

 

【ストーリー・順序】後に続いて来るものは前に来たものと常に密接な関係を持っている。(中略)そこには合理的な連絡があるのである。そしてあたかもすべての存在が調和をもって組み合わされているように、すべて生起する事柄は単なる継続ではなくある驚くべき親和性を表しているのである。(p.66)

 

○第5巻

【悪人】不可能事を追い求めるのは狂気の沙汰である。ところが悪人がこのようなことをしないのは不可能なのである。(p.83)

 

○第6感

【いずれにせよ問題無い】もし神々が私について、また私に起こるべきことについて協議したとするならば、必ず賢い協議をしたのである。(中略)もし神々が我々について何も競技しないならば、ともかく私自身は自分のことについて考えることを許されており、自分の利益について検討することができる。

 

【幸福】名誉を愛するものは自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛するものは自分の感情の中にあると思うが、物のわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。(p.114)

memo.ショーペンハウア

 

○第7巻

【悪徳】悪徳とは何か。それは君がしばしば見たことのあるものだ。一般にあらゆる出来事に対して「これは君がしばしば見たことのあるものだ」という考えを念頭に用意しておくが良い。(中略)一つとして新しいものはない。すべてお決まりであり、かりそめである。(p.116)

 

【捉え方】自分に起こったことを悪い事と考えさえしなければ、まだ何ら損害を受けていないのだ。そう考えない自由は私にあるのだ。(p.120)

 

【虚い】遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。(p.123)

 

【努力】人の話についていくために出来る限り努力せよ。物事の結果や原因の中へ心ではいり込むようにせよ。(p.126)

 

【大衆の非難】善事をなして悪く言われるのは王者らしいことだ。(p.127)

 

【孤独・幸福】人間が自分を周囲から孤立させて自分のものを自分の勢力範囲に置くことが許されないほど、それほど自然は君を全体の混合物の中にすっかり混ぜ合わせてしまっているわけではない。事実神々しい人間でありながら誰にもそうと気づかれないでいる事はきわめてありうることである。(pp.137-138)

memo.ショーペンハウア

 

【悪】笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪を避ける。ところがそれは不可能なのである。(p.139)

 

○第8巻

【虚栄心】つぎのこともまた虚栄心を棄てるのに役立つ。(中略)人が君のことをなんと思うかなどと気にするのはやめて、君の余生が長かろうと短かろうと、これを自然の欲するがままに生きることができたら、それで満足せよ。(p.141)

 

【怒り】よし君が怒って破裂したところで、彼らは少しも遠慮せずに同じことをやり続けるであろう。なによりもまず、いらいらするな。(p.143)

memo.セネカ

 

【反応しない】「この胡瓜は苦い。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。(p.160)

 

○第9巻

【不正】罪を犯すものは自分自身に対して罪を犯すのである。不正なものは、自分を悪者にするのであるから、自分に対して不正なのである。あることを成したために不正である場合のみならず、あることをなさないために不正である場合も少なくない。(p.170)

 

【煩労】こんにち私はあらゆる煩労から抜け出した。というよりもむしろあらゆる煩労を外へ放り出したのだ。なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである。(p.173)

memo.ショーペンハウア

 

【怒り】ところで君はどんな被害を被ったのか。君が憤慨している連中のうち誰一人君の精神を損なうようなことをしたものはいないのを君は発見するであろう。君にとって悪いこと、害になることは絶対に君の精神においてのみ存在するのだ。(p.185)

memo.セネカ

 

○第10巻

【ぶつぶつ言うな】すべての出来事は、君が生まれつきこれに耐えられるように起こるか、もしくは生まれつき耐えられぬように起こるか、そのいずれかである。故に、もし君が生まれつき耐えられるようなことが起こったら、ぶつぶつ言うな。君の生まれついている通りこれに耐えよ。しかしもし君が生まれつき耐えられぬようなことが起こったら、やはりぶつぶつ言うな。その事柄は君を消耗し尽くした上で自分も消滅するであろうから。もっとも自分の身のためであるとか、そうするのが義務であるとか、そういう考え方次第で、つまり自分の意見一つで、耐えやすく、我慢しやすくできるようなものもあるが、このようなものはすべて君が生まれつき耐えられるはずのものであることを忘れてはならない。(pp.188-189)

 

○第11巻

【無関心】最も高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中に備わっている。ただしそれはどうでも良い事柄に対して無関心であることを条件とする。(p.217)

 

○第12巻

【自己肯定感】もういい加減で自覚するがいい。君の中には、(中略)もっと神的なものがあるということを。(p.236)

 

【主観】すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。(p.237)

 

【おわりに】人よ、君はこの大なる都市の一市民であった。(中略)だから満足して去って行くが良い。君を解雇する者も満足していられるのだ。(p.244)

 

memo.ダイモーンが代紋みえて集中を奪う。

 

【訳者解説・ストア哲学ストア哲学は、その実践倫理に特有の思想として、我々の自由になることとならぬことの区別を強調する。(中略)人間の幸福と精神の平安は徳からのみ来る。徳とは宇宙を支配する神的な力、すなわち「宇宙の自然」に服従し、その自然のなすことを全て喜んで受け入れることにある。(pp.314-315)

 

◆荻野弘之(2009)の解説より

ストア派】一見しただけでは雑多で無秩序な集積としか見えないテクストの深層に、実はストア倫理学の規則が変奏曲のように、少しずつ転調しながら反復、展開する様が見えてくる。(p.5)

 

哲人政治】同時代からすでに彼の生涯はプラトンの「哲人王」の実現とも評される(中略)多忙な政務の折節に書き綴ったごく私的な備忘録『自省録』というただ一冊の小冊子によって、哲学史上に不滅の名を残すことになった。(p.11)

 

【訳者・神谷美恵子の回顧】

マルクス・アウレリウスは過去も未来も問題するに足りない、現在だけをよく生きることに専念するが良い、と至るところで言っている。(中略)「生存の重さ」を教えてくれた。(p.14)

 

【エリート教育、生い立ち】

六歳という異例の若さで騎士階級に叙せられる。(中略)一般の学校には通わず、もっぱら家庭教師について自宅で学んだ。(中略)若干十八歳で次期皇帝に指名されて、パラティヌスの丘の皇宮に移住した。(pp.19-20)

 

キリスト教との関係】

『自省録』には確かに福音書を連想させる断章が散見され、また全編を覆う敬虔な宗教的雰囲気が後代のキリスト教徒の読者を魅了した理由でもあるが、その成立自体はキリスト教の知識とは独立であろう。(p.26)

 

エピクテトス・思想を継承】

認識、欲求、行為の三領域のそれぞれに関してエピクテトスが構想するストア哲学の三つの規則は、相互に密接な相補関係に立ちながら、その強靭な論理によって逆説的な人生の模範を造形したのである。そしてこの三つの規則は、その表現に変成を加えつつもほぼそのままの構造を保持したまま『自省録』の中にも姿を現している。マルクス帝がエピクテトスの思想を継承しているというのは、まさにこの点においてなのである。(p.51)

 

【詩人マシュー・アーノルドの感想】

セネカの文章は知性を刺戟し、エピクテトスの文章は気概を強め 、マルクスの文章は心に沁み入る(p.139)

 

【神谷訳について】

神谷訳はストア哲学の専門用語についての理解が十分でなく、肝心の基本概念がその都度不必要に訳し分けられたりする欠陥も目につくが、その簡潔で雄勁な翻訳の文体は読者に強い印象を与え、まさに「名訳」といえる表現に達している箇所も少なくない。(p.142)

memo.これ褒めてんの?

 

◆参考文献・引用元

Marcus Aurelius Antoninus(2C), "Ta eis heauton"(神谷美恵子訳(2007)『自省録』岩波書店。)

荻野弘之(2009)『書物誕生 あたらしい古典入門 マルクス・アウレリウス「自省録」精神の城塞』岩波書店