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FESTINA LENTE

【雑談8】苦労して得た石を捨てる

「成長には苦労が必要」という考え方がある。「不可欠だ」と主張する人もいる。「苦労は若いうちに買ってでもしましょう」という言葉もある。また、人は苦労した経験を「何の意味も無かった」とは思いにくい性質がある。むしろ「この苦労はしてよかった」「いい学びになった」「苦労のおかげで成長できた」と苦労を肯定的に捉え「苦労に(時として過分な)意味」を与える傾向がある。こうした傾向には、かねてより違和感があった。以下に所感を整理する。

 

 

「楽しんで成果が得られる」こともあれば「苦しいのに結果が出ない」こともある。前者だけでいい、というのが僕の基本的な考え方だ。もちろん実際は「楽あれば苦あり」というように、苦楽を単純に切り分けることは困難である。それでも、すすんで苦労をするという判断や、苦労を推奨する価値観が理解できずにいる。苦労は尊いという感覚が無い。むしろ「なぜわざわざ苦しい選択をするの?」という疑問の方が強い。

「楽しい過程で苦労”も”する」のは自然である。しかしその範囲を逸脱して「苦しいのが基本」「楽しむのは軽薄」「楽=悪」という風潮が理解の範囲外だった。苦労の称賛は「人に嫌なこと*1を強制する論理」を正当化する。また、苦労は免罪符としても機能*2する。さらに「苦労は真に素晴らしい」という価値観を持った人は「他人に(悪気なく、むしろ善意で)苦労を強いる」という苦労スパイラルの起点となる。このような背景が、苦労の拡散と積極肯定を助長している。

*1    たとえば「雑用・下積み・(勉強嫌いな人にとっての)勉強」など。
*2   叱責されにくくなる現象。

 

 

苦労を積極肯定する一方で、苦労を伴わず(いつの間にか)手にしていた長所や競争優位性は過小評価されがちである。気付いていないこともある。すると「苦労して手に入れた石*3を丁重に扱い、最初から持っていた宝石を評価しない」という状況が生じる。ところが石には自信を持てない。自信がないから「もっと苦労しないと報われない」と考える。結果として石が量産*4される。量産された石に宝石が埋もれてしまう。

*3    苦労により得られたつまらない副産物を示す。
*4    苦労の末に宝石が得られる可能性もある。

 

 

苦労して石を量産する人(=石職人)は楽しんでいないため、褒められないとやりがいを感じない。他者評価への依存度が高い。また、石職人の中には他者に対して「なんであなたは石をつくらないの?」と苦労を強要する者もいる。これがエスカレートすると、「楽しんでいる人はずるい」「他人の気持ちがわからない/見下している」といった感想が生まれることもある。劣等感が慢性的な被害者意識を生み、時に非生産的な軋轢*5の元となる。


*5  同等の背景/構造を@青い人 さんが明瞭にブログで記載している。以下引用。

 

【アリはキリギリスが羨ましかった】
(略)アリから見ると、自分のやりたいことを素直にやっているキリギリスはワガママな奴に見えます。本当は羨ましくても、自分はそう振る舞えないので腹も立ちやすく(中略)極端な話ですがキリギリスは不幸であって欲しい、と思ってしまう動機があります。自分がやりたくないことを我慢してやっているにも関わらず、それを放棄している人が幸せだったとしたら、自分の行動はいったい何なのか、という話になってしまいます。
(青い人(2022/10/15)『藁を手に旅に出よう』BJブログ  )
*青い人さんの個人意見ではなく、本の内容をアウトプットしたものです。


念のため申し添えるが「苦労」を否定してはいない。苦労の過程で生じた副産物がどんなものであれ(石でも宝石でも)資産となる。しかし、苦労してやっとの思いで得た教訓が、そのぶんだけ有用とは限らない。苦労に応分の対価*6を求めるのには無理がある。苦労して得た石が重荷になりそうなら、捨ててしまってもいい*7。

*6    「これだけ苦労したんだから何か意味があるはず」と思いたくなるのは自然だが、苦労は成果を保証しない。
*7    苦労を「かて」にすると、「不幸/可哀想/苦しまないと評価されない」などのレッテルを自分に与え続けることがある。この呪縛を回避する。

 

 

苦労を肯定する人の中には能力や自制心が高く、かつ日々をエンジョイしている魅力的な方も多数いる。一方で、苦労の呪縛に苛まれている(と思われる)人や、「~したいけど出来ない」といった強迫観念に追われている人を見かけることも少なくない。そうした所感を鑑みて、「苦労」について現時点での考え方を整理した。

結果として「他者評価に依存せず、自分が楽しいと思うことをやり続けたらいい」という(ごく普通の)見解を得た。

 

 

苦労と成果の間に因果関係は(あるように感じるが実は)無い。他方、楽しい活動の中で不意にした「苦労」が「楽しい」の範囲を広げることもある。「楽しい」の範囲が広がることで、より多くの石が美しく見える機会が与えられる。リベル(3rdプレイス)での人や書籍との出会いは、「楽しい範囲を広げる手助け」になっていると感じる。

捨てた石は、気が向いたらいつでも拾いに行けばいい。その石が、いつの間にか宝石になっていることを期待して。