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◆Esseay
【雑談17】しょうもない呪われた無料のアクセサリ -口だけで行動しない心理-
【ハンマー】FESTINA LENTE/最短距離じゃないから成功する
【マラソン】FESTINA LENTE/急がないから早く着く
【YT収益】FESTINA LENTE/ゆっくり歩いて収益化
◆ビジネス・自己啓発
安宅和人 (2010)『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」 』英治出版。
アバタロー(2021)『自己肯定感を上げる OUTPUT読書術』クロスメディア・パブリッシング。
上田正仁(2013)『東大物理学者が教える「考える力」の鍛え方』ブックマン社 。
グレッグ・マキューン(2021)『エフォートレス思考』かんき出版。
ロバート・B・チャルディーニ(2006)『影響力の正体 説得のカラクリを心理学があばく』SB Creative。
石井遼介(2020)『心理的安全性のつくりかた』日本能率協会マネジメントセンター。
◆会計・ファイナンス
◆哲学・思想
ショーペンハウアー(1851) 『幸福について』光文社古典新訳文庫。
ルキウス・アンナエウス・セネカ(45)『怒りについて他二篇 』岩波文庫。
マイケル・サンデル(2021)『実力も運のうち 能力主義は正義か?』早川書房。
フリードリヒ・ニーチェ(1883-85)『ツァラトゥストラはこう語った』。
ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』河出書房新社。
ブレイディみかこ(2019)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社。
ブレイディみかこ(2021)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』新潮社。
◆小説
◆詩歌・エッセイ・文化
◆政府系資料
平成財政史
日銀100年史
適時開示--散歩動画設備投資(2024/7/8)
【適時開示】
散歩動画配信事業の累損損失一掃・黒字化達成のお知らせ、並びに新規設備投資実施の件
<散歩動画配信事業について>
当方、かねてより路上を徘徊し「適度な運動」と「耳から情報インプット」を習慣としておりました。(アバタローさんの動画もそうした活動の中知りました)
2022年4月、リベルへの入会を機に「ただ歩いただけで金もうけが出来たらおもしろいよな」というしょうもない動機から、散歩活動の副産物(ミニゲーム)として「プロ散歩士」を目指して「散歩動画配信事業」を開始いたしました。
https://bc-liber.com/blogs/67762e649b9a
2023年1月には初の収益を計上することでき、「プロ散歩士」となりましたが、同年度で初期投資を回収するにはいたりませんでした。(2023年度累計損失△27,502円)
<事業の黒字化>
別表損益計算書のとおり、2024年5月度において、累計損失を一掃いたしました。今後は年間収益60-90千円をコンスタントに計上し、安定的な事業運営が可能な体制がととのいました。
累計損失一掃と黒字化は「新規事業の立ち上げ」におけるひとつのゴール(終着点)として位置づけることが出来ます。しかしながら、プロ散歩士として、ここで歩みを止めていいものでしょうか。無論、いいわけがありません。散歩動画配信事業は、新たなスタート&ネクストステージへまいります。
<新規設備投資の件>
2024年7月度に次の通り新規設備投資を実施いたします。
●カメラ購入 400千円
●カメラアクセサリ 80千円
合計480千円(耐用年数5年)
当設備の耐用年数は5年と見込んでおりますが、償却費として費用を期間按分するのは面倒なので、すべて当期で費用処理する簡便的な方法を採用いたします。したがって、本投資が当期の散歩動画配信事業の業績に与えるインパクトはきわめて大きいものとなります。
その結果、当期の最終損益は△408,000円という過去最大の赤字を計上する見込です。
<成長可能性に関する事項>
本事業は、国際観光都市京都のブランドを最大限に活かし(というか寄生し)、京都の現在をヴァーチャルに体験できる取組です。品質の悪い動画ですら、コンスタントに視聴する暇人(笑)が存在することから、確実にニーズはあると考えられます。したがって、カメラの性能向上により動画品質が向上し、ひるがえって、広告収益の向上が見込めます。目標回収期間は保守的に見積もり、償却年数と同じ60カ月(5年)とします。(2029年7月末)
<免責事項>
当方の散歩動画は、かなり控えめに言っても「クソ動画」であり、いつなんどき視聴者が我にかえって視聴をやめてもおかしくありません。どちらかというと、視聴している方が異常なのです。僕だったら絶対にみません。したがって、本適時開示における業績予想を下回り、事業損益が推移する可能性があります。
業績予想に影響のある事象は認識しだい適時開示いたします。
詰め込み教育の(個人的)作法
ものでも知識でも、詰め込むさいには「詰め込み方」の上手さで効果/効率は変わってくる。ここでは「教育」のはなしをするので、「知識の詰め込み方」について私見を述べる。
◆
「知識の詰め込み方」を考えるうえでどのような点に気を付ければいいだろう。大切なことは多分たくさんあるが、僕のつたない経験によると、まず重要な点は次の2点と考える。
①「教育相手(容器)の現時点でのキャパシティを知ること/これを常に意識すること」
②「収納した知識が定着する速度を知ること」
***
①は、教育相手のキャパシティを知るととともに、どんな「形」で情報を伝えるとうまく知識が伝達できるのか、という点に注意する。たとえば
●知識をかみ砕いて、手取り足取り与えるのがよい場合
●知識をかみ砕かず、ブロック状で与えて相手にブロックを砕かせた方がよい場合
思考力や知的好奇心の高い相手に対しては、「手取り足取り」の教え方は「退屈」と判断される。逆に、思考力や知的好奇心が不足している相手に「知識をブロック状で与える」と「雑」と判断される。教育相手の特性により、情報の与え方/すなわち詰め込み方は当然に変化させる必要がある。
***
②は、知識の定着により「教育対象のキャパシティや学習に取り組む姿勢がどのように変化するか」を観察する。教育相手は、学習により変化する。同じ方法で知識を詰め込もうとするとうまくいかないのは当たり前である。
これは例えば、教育対象が学習に取り組むさいの「表情」「目の動き」「呼吸の頻度」「文字を書く速度」などをじっくりと観察することでなんとなくわかる。(と思う)ここで得た感触を、それとなく会話から聞き出し内心で自己採点しつつ、①にフィードバックする。この繰り返しである。
◆
こんな感じで、慎重に知識を詰めていくと「教育対象のキャパシティの向上が、詰め込もうとする情報量をうわまわる」という現象が起こる。かんたんにいうと、勉強が大好きになる。こうなると、教える側はあまりすることが無い。とても楽な状況である。僕はかつて学習塾で教えるとき、子どもを「この状態」に持っていくことに注力していた。
正直いって「教え方がうまくなる」とか「生徒のことを考えてきめ細やかなフォロー」とかめんどくさかったので、「勉強好きにさせたらあるていど雑に教えても勝手にかしこくなるやろ」という僕側の都合もあった。とにもかくにも、運よく僕が担当する生徒はこのやり方がハマることが多く、成績がどんどんと伸びた。
(具体例はちょうど2年前にブログに書いていました。)
https://bc-liber.com/blogs/76414128a274
【雑談4】Fラン講師は運だけで勝つ
すが@京都
2022/08/11 18:00
(成績が伸びるとちまたで評判になり、富豪からの家庭教師依頼も多数来ました。)
https://bc-liber.com/blogs/4d1ee7de0bbd
【雑談1】教育とお金
すが@京都
2022/06/20 23:00
◆
こうした経験から、結局のところ「詰め込み」とは相対的な概念と考えるようになった。すなわち、「詰めようとする知識の量」と「学ぼうとする意識の器の大きさ」の相対性である。
***
意識の器の大きさが広いと、「こんなすごい量を学ぶのか」と感じそうになる量でも、案外楽しんで取り組むことができる。逆の場合では「なんでたったこんだけのことも出来ないんだ」と感じそうになる量でも、苦痛でやりたくないという状況もあり得る。
このように、個別に対応すれば「個性に適した教育を実践すること」で「詰め込み教育に内包する強制性」は相当程度排除可能と考える。しかし問題は、学校の先生は教務以外の仕事量が多く忙しいうえに、人員も足りていないということだ。学校の先生は(基本的には)教育のプロである。個別(あるいは少人数を)指導する機会が増加すれば、教育の質向上は疑いない。
しかし現実はそうなっていない。文部科学省の「教員不足に関する実態調査」によると、特に小学校の教師不足が顕著である。少人数学級、個別指導対策どころではない。すると、質の高い教育を受けたい人はどうすればいいのか。高いお金を払って、学習塾に通うなどが自分たちでなんとかする必要がある。ここに、教育格差、ならびに格差の固定化、拡大化の懸念がある。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/mext_00004.html
教師不足について:文部科学省
www.mext.go.jp
◆
詰め込み教育に対する批判は、「お金のある人は結局塾に行くので、格差はむしろ拡大する」というパラドクスを内包している。いっぽうで、質の担保されていない詰め込み教育は「教育の失敗/ざせつ者の量産」が心配される。これらを解決するために、公教育は「質の高い詰め込み教育」すなわち「(量は多いが)詰め込みを感じさせないインプット教育」を目指す必要がある。
そうなっていない現状を踏まえると、個々人が考えるべきは「詰め込みの是非」も大切ではあるが、むしろ「どうやったら器が大きくなるか」「勉強が好きになるか」という視点かもしれない。すぐに結果が出ないことも往々にあるが、結局はそれがはやいと思う。以下に、僕の好んでいる【FESTINA LENTE】という言葉を紹介して、本ブログのむすびとする。
◆
【FESTINA LENTE】
初代ローマ皇帝アウグストゥスの格言で
「ゆっくり急いで」とも訳される
「急がば回れ」とは似て非なるものだと僕は捉えており
それゆえ好んでいる
“ゆっくりだから、結果としてはやく目的地に着く”
という「ゆっくりを積極的に肯定する」意図がみえるためだ
ゆっくりは、早い
◆
読んでくださりありがとうございます。
【雑談18】隙間を埋める言葉 うわさ・嘘・マルチ
人は、自分が信じたいことを事実と認識する習性がある。
僕がそのことを最初に強く意識したのは中学生の頃だった。
◆
当時のバラエティ番組で、「2組の歌手グループを競わせ、敗退したグループは新曲をお蔵入りする」という企画があった。その番組は、僕の住む地域で多くの注目を集めていた。2組の歌手グループは全国でゲリラライブを行い、ファンを獲得する様子が番組内で伝えられていた。
「そういえば、先輩から聞いた話なんだけど」
放課後の帰路、僕は友人に話を切り出す。
「来週水曜日の夜8時に〇〇がxx公園にゲリラライブで来るらしいよ」
「本当の話かわからないけどね」
「けど、先輩のお父さん業界の人だからもしかしたら、、、」
僕は通常、自分がついた嘘をいちいち覚えない。そもそも基本的には正直なタイプだし、バレて困るような嘘は最初からつかない。嘘をつくときは「バレてもいい」という前提でついている。それでも、まさか昨日ついた嘘が、翌日学校中で話題になることは想像の範囲外だった。
「うわさ」が広まる速度は早かった。当時はSNSはもちろんガラケーすらギリギリ存在していなかった時代、情報伝達手段は「口コミ」だった。「情報の出所はどこなのか」「信憑性はあるのか」などはまったく問題にならず、みんな「〇〇がxx公園に来る」というデマを信じていた。どういうわけか、まったく関係のないジャニーズグループも応援に来るといった尾ひれまでついていた。
「すが、知ってる?来週の水曜日にさあ!」という感じで、多くの人からデマ(ブーメラン)を受け取った。「バレてもいい」という前提でついた嘘は冗談のような速度で展開し、僕はあ然としながらも、わくわくするような気持ちでいた。
◆
人は、信じたい情報を信じる一方で、信じたくない情報は無かったことにする。「馬の耳に念仏」ということわざがあるが「信じたくない情報」を目の前にすると、人は馬になる。耳に聞こえても頭には入らない。人として生まれた以上、馬になるのは愚かなことと感じそうになる。しかし「人」としてデマに聞く耳を持ち、騙されたあげくにカモになることは、馬になるよりもずいぶん愚かだという気もする。判断力の劣るカモは、せめて馬になるべきかもしれない。
◆
「僕たちは、夢を売っています!」
登壇したエグゼクティブダイヤモンドなんとかはそう言い放ち、プレゼンをはじめた。大学生のころ、僕はマルチや宗教の集団勧誘会場を訪れる趣味があった。多くの人間を扇動し、心を動かす人のプレゼンを実際に聞きたかったためだ。また、カモになる人の特徴も知りたかった。
カモ候補は、ほとんど例外なく心に隙間があった。大きな夢・理想があるのに社会的評価が低く、友人たちから出遅れ、親からも失望されることに焦りを感じている。「自分はこんなものでは無いはずだ」「しょうもない連中よりも自分の方が優秀なはずだ」「いまの境遇は不相応だ」「社会が悪い」「運が悪い」「自分は悪くない」「チャンスさえあれば自分はビッグになれる」「周囲を見返してやりたい!」
こまかな事情は違えど、大まかにいうと、カモ候補はだいたいこんな感じのことを考えていた。その隙間をエグゼクティブダイヤモンドなんとかは、しっかりと埋める。(まるで熟練の左官屋のように)
「まず、ここにお集まりの皆さんは情報感度が高い」
「強い熱意が無いとここに来ることはできない」
「みなさんが来てくださったこと、出会に感謝です」
「みなさんも、みなさんをこの会に誘った人に感謝してください」
「みなさんは抜群の運を持っています」
「すばらしい縁に感謝すべきです」
「そんなみなさんが万一、今なにかうまくいっていないとしたら」
「それは世の中が間違っています!」
「実は、自分もかつてはそうでした」
「でも、このビジネスと出会い、すべてが変わりました」
「先日は親をグアムに連れて行きました」
「既存のエリートサラリーマンの時代はもうおわりです」
「これからは個の時代です!」
「お金と時間にしばられない自由を手にしませんか」
プレゼンの明瞭さ、裕福さを感じさせるスライドショー、音響やサクラの歓声、現金などの小道具、効果的な照明ワーク、これらがすべて組み合わさり、マルチの勧誘会はひとつのショーとしてフィナーレをむかえる。そして、カモ候補は生まれたてのカモとなり、スッキリとした顔つきで契約書にサインをする。
こうした一連の流れを観察することが、いったいなんの役に立つのか分からなかったし、今でもよくわからない。
◆
15年くらいまえ、中学生のころに学年で一番かわいいと言われていた女の子のひとりから電話がかかってきた。要件は、マルチの勧誘だった。マルチ勧誘の観察を趣味としていた僕であるが、その時ばかりは丁重にその誘いを断った。
◆
「〇〇がxx公園に来る」というデマは最終的に、近隣の小・中学校、一部の大学まで伝播した。そして当日の夜、xx公園(1周150m程度の中規模の公園)は1,000人以上の人でごった返した。あたりまえだが、○○は来ないし、ジャニーズも来ない。その代わりに、警察と消防が出動した。近隣住民から苦情が入ったのだろう。
パトカーが最初は2台、次第に台数が増え、最終的には10台近くが集結した。「ここでゲリラライブがあんだからポリはすっこんでろ!」といった野次がとぶ。警察は困惑気味に「ここでそうした許可はおりていません。みなさん解散してください!」と説得するが、なかなかみんな帰ろうとしない。
それどころか、○○(とジャニーズ)があらわれない苛立ちを目の前の警察官にぶつける者もあらわれた。当初はおとなしかった群衆も、ひとたび警官にブーイングするものが現れると、われもわれもと盛んに文句を口にした。
愚かな人は大勢あつまると、行動原理が動物に近づくのかもしれない。(あるいは、大勢あつまると愚かになるのかもしれない。)
◆
人は、自分が信じたいことを事実と認識する習性がある。
これはおそらく、目の前の人間を説得するのに必要不可欠な原理原則と言ってよい。石コロを欲しがっているひとに宝石を与えようとしても意味は無いし、「せっかく宝石をあげようとしているのに!」と腹を立てても仕方がない。できることは、なるべくマシな石コロを与えることくらいかもしれない。
◆
マルチ勧誘の技術は、他人に「石コロを与えて感謝される」ことの有用性を教えてくれる。耳に痛い正論よりも、聞きざわりの良いことばが求められるシーンが、思いのほか多い。対して、耳に痛い正論は昨今ますます発言しづらい環境にある。
たとえば、研鑽を怠っている人に「やるべきことやってないから出来ないのはあたりまえ」と言うだけでも、場合によっては「ハラスメント」になったり「正論だが言い方が悪い」などと両成敗の対象になったりする。注意をする側にはリスクばかりがあり、メリットが少ない。配慮が求められている。配慮とはすなわち、相手が求める石コロを与えることだ。
「分かります。僕もぜんぜん出来ませんでした」
「たまたま恵まれて出来るようなったんです」
「○○さんはすごい努力家ですね」
「自分よりずっと真摯な態度で尊敬します」
相手の尊厳を守るばかりか、むしろ褒める。とにかく怒らせないようにする。相手はきれいな石コロをもらって満足する。そうして、石コロだらけで心を満たして成長しない。格差は縮まらない。研鑽を怠っているから、いつまでも成長しない。誰もそれを指摘してくれないし、自分から率先して向上する気力も無い。
しかし、成長しないことに対する怒りの矛先はおそろしいことに「いずれどこかにはいく」ことになる。僕はこの現象を、とても怖いと考えている。無能な人間の行き場を失った怒りの矛先は「叩いていい誰か」に向けられることが多い。自分にそれほど関係が無いはずの人や物事に、尋常ではない怒りをぶつけている人をみると、僕はなんともいえない悲しい気分になる。そして、怒りをぶつけられる対象が自分でないことを心から安堵する。
無能そのものは罪ではないが、大志を抱いた無能は劣等感も巨大化しやすく、それは悪の根源になりうる。社会を恨み、無差別な犯罪に走る人もいる。では、無能な人は大志を抱くべきではないのか、というあたりで僕はよくわからなくなる。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。適性、あるいは時間・タイミング・運・価値観の変化・人との出会いなどの要素も大きいかもしれない。
◆
人は、自分が信じたいことを事実と認識する習性がある。
この習性を利用すると、(タイミングが整っていれば)自分が「こうなればいい」という希望がどんどんと叶っていく感覚を持つことが可能となる。これは「運を引き寄せる」とか「思念で運命をコントロールする」といった怪しい感じのする言説に繋がってしまいそうだが、そんなスピ的な話ではない。「人の習性」と「認識」の組み合わせによる、ちょっとした偶然の連鎖/波を感じるということにすぎない。
ちなみに、僕はオカルトやスピは大好きだ。ムーも読んでいる。ついでにいうと、いいマルチがあれば是非とも入会したいと常々思っている。勧誘会イベントにも、冷やかしで行っているわけでは無く、毎回真剣に検討している。結果として今のところ、機会に恵まれず入会に至っていないだけで、いつかは洗剤やナベ、サプリメントなどをバンバン売っていきたいと思っている。
マルチで儲けたお金で、xx公園に有名人を呼んでゲリラライブをしてもらうのは悪くないアイデアな気がする。贖罪になるか微妙な線だけど。
【雑談17】しょうもない呪われた無料のアクセサリ -口だけで行動しない心理-
<はじめに>
「口では熱意/関心を示すが、行動が伴わず成果が出ない」という現象を考える。語ったことの半分、、、少なくとも3割くらいは行動に移せてよいはずだ。しかし実際のところ、行動がゼロに近い人も珍しくない。よく「時間がない」「xxが忙しい」と聞く。たしかにそうかもしれないが、結局は「やらない理由」が勝つ程度の「熱意/関心」と自白しているに過ぎない。ようするに本気さがない。
ではなぜ、わざわざ「熱意/関心」を口にするのだろう。どうせ行動しないのだから、あえて口にする必要はないように感じられる。わざわざ語るのはどういう心理なのだろう。
「熱意/関心をアピールし、姿勢を賞賛してもらうため」かもしれない。「意識高い感」を演出するが、行動にはうつさない。まんいち行動しても熱が入らない。他者からの称賛を得たいだけで、本質的な興味が無い。とうぜん成果も出ない。
本文では、上述のパターンに陥る心理状態と構造のいち側面を、具体例をまじえて記す。そして「口だけで行動しない人」に「ならないための心構え」「なってしまった場合の対処法」について考えることを目的とする。
◆
<疑問のきっかけ>
時折、次の特徴を有する人をみかける。
「語りは熱いが、行動しない」
「熱意は凄いが、行動しない」
「行動できない理由はたくさんあるようだ」
「成果がでない理由もたくさんあるようだ」
「しかし実は、熱意/関心が無いのでは」
「他人からすごいねと言ってほしいだけでは」
ひとことでいうと「なんで口ばかりで行動しないの?」というのが疑問のきっかけだった。口で語る熱量に比して、行動が伴わない人への違和感である。「できる・できない」以前の問題だ。行動しないかぎり、何ごとも実現しない。態度が前のめりにならない。誰かに決定的な迷惑をかけているわけではないが、他方で有益さも無い。
誰かにむりやり「やれ」と言われているわけではない。自分から「xxがしたい」「興味がある」と言っている。なのに、行動しない。もちろん勉強もしない。ちょっと調べたらわかることを知ろうともしない。
以前の僕は「自分が想像する以上に、なにもできない人が世の中にはいる」と解釈していた。しかし最近、「そうではないかもしれない」と考えるようになった。つまり
●「口だけで自分を着飾るから行動できないが、本当に興味があることをみつけたらどんな人でも行動が伴うのでは」
●「本当に興味があることをみつけるためには、口だけで自分を着飾るのをまずはやめる必要があるのでは」
という考えである。乱暴な言い方をすると、かつては「ポテンシャルが低い人は結局何をやっても無理だ」と考えていたが、今は「やり方しだいでなんとでもなる」という可能性を考えるようになった。
以下では、「口ばかりで行動しない」という現象では頻出の「読書」と「ダイエット」を例に特徴を概観する。
◆
<例 大量つんどく(読書)>
たとえば読書。買って本棚に入れたまま読まない本のことを「つんどく」という。「機が熟せば読むつもりの本を予め手元に置いておく」という話なら理解できるが、その範疇を超えた量をストックする人がいる。あるいは、本を集め眺めるのが趣味と割り切る人なら、まだしも理解しやすい。しかしそうではない。「○○、読みたいけど読めていない」「○○は難解で理解できない」「けど興味があって読もうとは思っている」というようなことを呪文のように3年だったり5年だったり唱えて続け、つんどくを増やし続ける人はいったいなんなのだろう。お金を使って手に入れたのは、本なのか、それとも別の何かなのか。
「たくさんの本を読もうとしているなんてすごいですね」「○○なんて難解な本、読もうとしているだけで尊敬します」といった言葉をかけるのが無難な対応と思われる。それにしても読まない。読む率が低すぎる。中日ドラゴンズの下位打者でさえも、もう少し(打)率が高い。だからこう思わざるを得ない。「ようするに読みますアピールをしているだけで、熱意/関心は無いんだろう」と。
ちなみに、たいていの難解といわれる本はむやみに難解なわけではない。任意の課題を解決する手段を検討するにあたり「込み入った話」が必要になる。それを、関心の無い人が読むと「これは難解だ!」「しかもぶっちゃけ興味が無い」「よって頭に入ってこない」「やはり難解だ!」というループにハマるに過ぎない。
逆にいうと、課題感のある人が読めば、その「難解さ」は課題に対するアプローチとして必要不可欠なプロセスと案外すんなり理解できる。「難解さ」の原因を分析するモチベーションが自然と内から沸き出ているためだ。必要に応じて背景知識をつけたり、用語を理解したり、人に聞くなり、なんだってする。
本との相性がよければ、ちまたに「難解」と言われている本でも、「自分の頭の中でグルグルと意味不明に感じていたことが文字化されてスッキリ」「分かりやすい」という感想にすらなる。必要にかられて読んでいるから、あとまわしになりにくい。「○○っていう本を読もうと思っているんだよね」「すごいね」という会話を誰かとする暇は無い。さっさと読む。本を積むための時間を惜しんで、読書をする。
◆
<例 ダイエット博士>
たとえばダイエット。筋トレをはじめたり、食事制限をしてみたり、ジムに通ったり、ハンマーを買ったりする。体重を落とすのはたいへんなことだし、ライザップのように短期間で成果が出ることはまれである。しかし「口は達者だがいつまでもずっと痩せない」という人には疑問を感じる。なお、そうした人のダイエット知識は相当である。あなたのまわりにはいないだろうか。ダイエット博士(太)が。
ダイエット博士(太)は、国立減量大学院大学から名誉博士号を取得した(と推察される)ダイエットのエキスパートである。日々の情報収集をおこたらず、ダイエットにかんする膨大な知識(と体重)は年々増加している。Tarzanを愛読し、ジムに足しげく通い「新しいインストラクターのスタジオは追い込みが甘い」などと厳しくのたまうが、自分へのご褒美は一切の妥協をしない。ジムのサウナで汗を流した後に食べるレアチーズケーキ(ホール)を好んでいる。
減量に効果がある(と宣伝されている)サプリや「○○ダイエット法」についても造詣が深い。それらの方法論が単体ではけっして機能しないことを身をもって証明してくれる。年に数回は韓国に出向き、エステや脂肪吸引にいそしみ「身も心もスッキリ」と明るい笑顔をふりまくが、なにがどう変わったのか分かる人は少ない。(目は二重、腹は三段)
聞いていないのに「昔は痩せていた」としきりに言う。中東・アラビア地方の伝統的な壺を思わせる体型から、その発言は100%の冗談にきこえる。しかし「戦後は食糧が不足していたんですね」とフランクにコメントするようでは、命がいくつあっても足りないだろう。
こうした壺、、、ではなく人は、自分に甘いぶん他人には厳しかったりする。日大アメフト部(内田監督時代)のような厳格さがあるので、マナー違反は御法度である。「壺さんはほんとうに意識(と体脂肪率)高くてすごいですね!」基本はこれ一択で大丈夫。
少し筆が滑ったかもしれない。たしかに、これほど極端な人はそう多くはない。しかし「口ばかりでぜんぜん痩せない人」はたくさんおり、上記はその特徴を少なからず捉えていると思う。
◆
<無料のアクセサリー(呪)で着飾る心理>
上記二例の共通点として「行動はぜんぜんしないが、口先だけでひとかどの人物と評価されたい」という動機がある。自分を見栄えよくしたい。まさにアクセサリ感覚だ。そして、そのアクセサリに対価を払う気が無い。つまり行動はしない。無料で欲しい。
無料のアクセサリで、称賛されることはクセになる。最高に効くクスリだ。ちょろいもんである。「これだから意識高い系はやめられないぜ」と思うに十分なのかもしれない。
しかし実は、そのアクセサリは無料では無い。二つの代償を払っている。まず第一に、他人はそんな人を真にリスペクトしない。短期間だったら騙すことが出来るかもしれない。しかし「この人ぜんぜん行動しないな」「そりゃあ結果も出ないよな」ということは時間の問題で見抜かれる。ゆえに、無料と思われたアクセサリは結果的につけている人の価値を押し下げる。
次に、こちらの方が重大な損失だが、そのアクセサリをつけているかぎり【自分が自身を】リスペクトできない。にもかかわらず、(というか、だからこそ)なかなか外せない。自分に自信がないから無料のアクセサリでもつけたくなるし、無料のアクセサリをつけているから自分に自信が持てない。ザ・袋小路。まさに呪われたアイテムである。
◆
<おわりに>
【しょうもない呪われた無料のアクセサリ】を外すことに注力したほうがいい。そこには明確な「意思の力」が必要である。また、過去につけた普通のアクセサリが時を経て【しょうもない呪われた無料のアクセサリ】に変化している場合もある。「今の自分にフィットしているのか」」「つけているフリをして不当に評価を得ようとしていないか」など、内省的にふりかえってみてもいいかもしれない。
自身の「価値観」ならびに「言動」と「行動」を定期的に棚卸することで、【しょうもない呪われた無料のアクセサリ】をつけないように心がけ、必要に応じて外していきたいと思う。