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FESTINA LENTE

【雑談5】Fラン・新卒・簿記3級

簿記が嫌いなのに、新卒入社した会社で経理部に配属された。(上場/機械)「水が苦手だが水泳部に入部した」と同じような感覚だ。就職活動の際「簿記は嫌いです」と明言したのに「経理部で働いてみないか」と(不可解な)勧誘をいただいていた。意味不明な申し出に希少さを感じて入社を決めていたので、経理部配属は承知済みのことだった。しかしそれでも、いざ配属されると憂鬱さもあった。繰り返しになるが簿記が嫌いだった。

 


経理部の先輩方は(当然のように)簿記を得意としていた。一流大卒の1級ホルダーばかりである。僕はFラン卒の3級ホルダー(笑)だったので場違い感を覚えた。もっとも「無理なら辞めたらいい」と考えていたので、思い煩うことは無かった。多くの先輩は「学習した簿記はいったん忘れること」を推奨し、代わりに「基幹システム(ERP)の仕組み理解」への注力を促した。

僕にとって「学習した簿記を忘れる」のは簡単だった。くわえて「基幹システムの仕組を理解」するのは得意だった。僕を指導してくれたメンターは親切で教え方も分かりやすかった。(この人はエクセルの達人でもあった)上司はチャラかったが仕事ができた。総じて「成長しない方が難しい」くらいの恵まれた環境が整った職場だった。

 

 

チャラい上司は喫煙者だった。当時は僕も喫煙者だったため、そのことが理由で気に入られていた。喫煙室で「次は●●を担当したい」と言うと、ほどなくしてその業務を任せられた。当時の経理部では「喫煙習慣>簿記」という不等式(不当式)が成立していた。

ところで、僕の喫煙習慣は高校生の頃に付き合った女の子の影響で開始された。その女の子は演劇部員だったが、仲良くなったきっかけは演劇部と地平線部(cf.雑談2 )の部室が隣だったことが関係している。悪習慣と思っていた喫煙が(簿記よりも)有用だったうえに、それが「地平線部由来」と思うと何が役立つかわからない。

 

 

経理部の仕事は悪くなかった。むしろ好ましく感じるようになった。「事務作業としての簿記」には興味が持てなかったが、嫌いな事務作業はシステムで自働化されていた。重要なのは論理と手続きと要領(と話術)だった。「簿記は嫌いだが経理業務は楽しい」という発見は、僕にパラダイムシフトをもたらした。嫌いと判断した対象も関わり方が異なると好きになり得る。(この教訓を「逆も然り」の側で学ぶ機会に恵まれなかったことは幸運だった)

僕の翌年に入社した山崎も簿記未習者だった。開成→慶應のインテリ/長身イケメンで、池袋の執事喫茶でバイトをしていた重度なアニオタである。北欧家具を扱う会社と天秤にかけたが「経理はレア」という理由で入社先を決めたという。意思決定の発想は僕と似ていた。

 

 

「簿記嫌い/未習者」を経理採用する人事方針の不自然さには疑問があった。人事部の先輩(北大院でカント研究をしていたので、ここではカント先輩とする)に理由を聞いてみたところ「ある役員」の影響とわかる。「ある役員」は「最近のスタッフ部門は覇気が無い」と感じていた。「個性的な人材を採用しろ」という声があり、カント先輩が人事部に採用される。(たしかにカント先輩は「個性的」だった)その流れで僕や山崎も採用されたという。

「ある役員」は九大の文哲出身だった。入社してから経営学を学び、数々の効果的な経営戦略を立案することで参謀として出世する。そうした経緯(経営は元々専門外)が、「個性的な人材を採用しろ」という一声に繋がったのかもしれない。「勉強熱心で哲学好きのオッさんの気まぐれのおかげで良い感じの就職が出来て本当にラッキー」というのが僕の率直な所感だった。この所感は今も変わっていない。

 

 

カント先輩と山崎とは住居(独身寮)が同じで年が近かったこともあり、親しい付き合いがあった。カント先輩は酒に酔うと哲学の話をしてくれることもあったが、当時の僕は哲学に対する興味が今よりずっと薄かったのでほとんどを聞き流していた。(今になって思えば、もう少しちゃんと聞いていてもよかった。)

 

 

職業キャリアのスタートが「経理」だったことは多くの点で有意義だった。人間関係にも恵まれた。これらは「運」である。実力も意欲も不足しており、努力は皆無だった。こうした所感を述べると「運を引き寄せていますね」と言われることもあるが、僕にはよくわからない。運はあくまでも確率と考えるためだ。「引き寄せる」のは無理だと思う。しかし幸運に感謝する姿勢は持ってもいいかもしれない、と今は考えている。(感謝の対象は不明だが)


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