THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

デカルト(1637)『方法序説』岩波文庫。

原題=『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』(谷川2016 ,p.12)

◆概要

【執筆動機】

【学問の方法・ゼロベース】私がその時までに受け入れ信じてきた諸見解全てに対しては、自分の信念からいちどきっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。(p.23)→方法論へ

大して論争の種にならず、自分の望む以上に私の原理について言明させられることにもならず、しかも諸学問で私のできること、できないことを十分明晰に示すような題材(pp.98-99)

 

【想定読者】

学者

 

【主張】

【方法のススメ】私が選んだこのわずかな規則を厳密に守ったことで、このニつの学科の及ぶどんな問題も極めて容易に解けるようになり(中略)この方法によって、自分の理性をどんなことにおいても、完全では無いまでも、少なくとも自分の力の及ぶ限り最もよく用いていると言う確信を得たことだ。(pp.31-32)

 

◆本文抜粋

⚪︎第一部    学問に関する考察

【良識/理性・平等】良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。(中略)良い精神を持っているだけでは充分ではなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳を生み出す力がある。(p.8)

 

【目的】このように私の目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。(p.11)

 

【数学】私は何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。(p.15)

 

ストア派批判】(古代異教徒たち)彼らは美徳をひどく高く持ち上げて、この世何よりも尊重すべきものと見せかける。けれども美徳をどう認識するかは十分に教えないし、彼らが美徳という美しい名で呼ぶものが、無感動・高慢・絶望、親族殺しに過ぎないことが多い。(p.15)

 

⚪︎第二部    探求した方法の主たる規則

【スパルタ】スパルタが隆盛きわめたのは、その法律のひとつひとつが良かったためではない。(中略)そうではなく、それらの法律がただ一人によって草案され、その全てが同一の目的に向かっていたからである。(pp.21-22)

memo. ただ一人、統一感、シンプル、真理

 

【規則①明証】わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れない(p.28)

 

【規則②分割】わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。(p.29)

 

【規則③順序】わたしの思考順序に従って導くこと。そこでは、最も単純で最も認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を上るようにして、最も複雑なものの認識にまで登っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。(p.29)

 

【規則④枚挙】すべての場合に、完全な枚挙全体にわたる見通しをして、何も見落とさなかったと確信すること。(p.29)

 

⚪︎第三部    方法から引き出した道徳上の規則

【格率①国のルール】私の国の法律と慣習に従うことだった。その際、神の恵みを受けて子供の頃から教えられた宗教をしっかりと変わらずに守り続け、他の全てにおいては、私が共に生きなければならない人のうちで最も良識ある人々が実際に広く承認している、極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従って自分を導いていく。(p.34)

 

【格率②継続】自分の行動において、できる限り確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、極めて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。(p.36)

 

【格率③自分が変わる】運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努めることだった。そして一般に、完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。(pp.37-38)

 

【噂の推察】それは私が、少しばかり学問をした人が普通やるよりも率直に、自分の知らないことを知らないと告白したからに違いない。またおそらく、私が何か学説を一つでも誇示するよりは、他の人たちが確実だとしているたくさんの事について、私の疑う理由を示したからに違いない。しかし、私は実際の自分とは違うように取られたくないという正直な気持ちが強かったので、与えられた評判に値するように、あらゆる手段を尽くして努力すべきだと考えた。(pp.43-44)

 

⚪︎第四部    神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠

【哲学の第一原理】私は考える、ゆえに私は存在する(我思う故に我あり)というこの真理は、懐疑論者のどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(p.46)

 

【一般規則】私たちがきわめて明晰かつ判明に捉える事は全て真である、これを一般的な規則としてよい、ただし、私たちが判明にとらえるものが何かを見極めるのにはいくらかの困難がある、と。(pp.47-48)

 

【神】神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、我々の家にあるすべては神に由来すること。その結果として、我々の観念や概念は、明晰かつ判明である全てにおいて、実在であり、神に由来するものであり、その点において、真でしかありえないことになる。(p.54)

 

⚪︎第五部    探求した自然学の諸問題の秩序

(特に心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解明と動物の魂との差異)

memo. とっておきのチラ見せ説。

 

⚪︎最終部    自然の探求においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由で私が本書を執筆するに至ったか

 

【書く】多少とも重要だと判断するすべてのことを、その真理の発見に応じて書き続ける、しかもそれを、印刷させようとする場合と同じ位の周到な注意を持って書き続けることが本当に必要なのである。(p.87)

 

【ドヤ感】もし私の自然学の基礎を公表すれば、この時間を失う多くの機会ができるに決まっている。と言うのも、この基礎はほぼ全て極めて明証的で、理解しさえすればただちに真だと信じざるをえないほどあり、また一つとして論証できないと思われるものは無いのだが、それにもかかわらず、他の人たちの各種各様のあらゆる意見と一致するのは不可能であることから、これが引き起こす諸反論によって、私が度々仕事から心をさらされてしまうことが予想されるのである。(pp.89-90)

memo.訳.ちょっと頭を使えばわかることやけど世の中にはアホが多いからなあ…

 

【情報源】なおこの機会に後世の人たちに、私自身が公表したものでなければ、私の意見だと他の人が言っても、決して信じないようにお願いしておきたい。(p.92)

 

【探究方法】仮にもしかれらが、知らない事は何もないと見せる虚栄よりも、わずかでも真理を認識することの方が良いと考えるなら、(中略)だからといって、私がこの序説ですでに述べた以上のことを、彼らにいう必要は無い。なぜなら、もし彼らに私の成した以上のことをする能力があるとすれば、私が見出したと思っているもの全てを自分で見いだす力も、なおいっそうあるだろうから。(p.94)

 

【自力・苦労】さらに彼らが、最初は容易なことから探求し始めて、少しずつ段階を得て、他のもっと困難な事柄に移っていくことによって得られる習慣は、私の教示すべてよりもかれらの役に立つだろう。もし私が若い時から既に、後になってその論証を探求したすべての真理を人から教えられ、それを知るのに何の苦労もしなかったとしたら、それ以外の真理を知ることはできなかっただろう。(p.95)

 

【バイアス】このような実験は大部分、たくさんの周辺条件や余計な要素から成り立っていて、そこから真理を読み解くのはとても難しい。それに、実験をした人たちは彼らの原理に実験が一致するように見せようと努めるから、ほぼ全て、説明の仕方がまずく、間違っているものもあるので、役に立つものがいくつかあったとしても、それを選び出すために時間をかけるほどの価値は無い。(p.96)

 

◆谷川多佳子(2014)の解説と指摘

ヘーゲルの賞賛】

ヘーゲルは、デカルトは近世の思想の英雄であるといいます。そしてデカルト哲学を持って、ルネサンスを経た哲学の夜明けが始まる、と称えます。フランス思想ではデカルトを讃えたり、継承するものは数えきれません。(p.31)

 

【旅するデカルト

レンブラントの描く哲学者は書斎の中の哲学者で、部屋に閉じ込められているかのようだ。けれどもハルスの描いたデカルトはまるで違う。アムステルダムの運河を歩いたり、様々なオランダの都市を見たり、港で考えを巡らせたりするデカルトだ。哲学者は内面に向かうけれども、ときには外にも向かう、その両方がある。(中略)デカルトレンブラントの描くような書斎の哲学者ではない。自分の内側と外側を常に往復できる、移っていける、そういうデカルトの素晴らしさがこの絵に表れている。(p.34)

 

パスカルの批判】

パスカルは、自我は憎むべきである、無益にして不確実なデカルト、といいます。そして、デカルトはその全哲学の中で神なしで済ませたかったのであるが、世界を動き出させるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかず、「それから先はもう神に用がないのだ」と言い切ります。

 

ヴォルテールの批判】

デカルトは初めは幾何学を熱心に勉強し、いろいろな技術を発明し、「屈折工学」などのしっかりした仕事を残したけれども、彼は幾何学を捨ててしまった。あとは数学をやらなくなり他の学問に向かうが、後になればなるほど間違いが多い。結局、その体型は間違いだらけの体型になってしまって、しかもその体型に固執する精神、頭の固い小説でしかなくなってしまう。だから学問のない連中には本当らしく見える。(p.37)

 

現代思想との関係】

デカルト思想に対しては、例えば現在の環境問題や自然破壊のもとだというような見方もあります。脱構築ポストモダンは、デカルト的な近代哲学の軸を解体することにつながります。また、医学などの人体観や臓器移植の問題点に対しても、デカルトの二元論に問題の基礎を指摘する見方もあります。

 

【ベラヴァル先生の指導】

「論文は水準以上にできたが、あなたの日本人としてのオリジナリティーが見えない。あなた方はおそらく、私たちと異なる文化や思想の基盤を背負っていると思う。その視点を論文に表すことはできないだろうか」(p.54)

 

【本推薦】最近翻訳の出たロリス=レヴィスの「デカルト伝」(未来社、1998年)は最新の、非常にしっかりした見事な伝記です。(p.57)

 

【おわりに】

混乱し緊張した状況の中でデカルトは、まったく新しい近代の哲学と学問の基礎を築いたわけです。その思想に近代の人権や民主主義の基盤をみることもできます。科学技術や経済・社会の発展は、人間に様々な恩恵をもたらしましたが、しかし20世紀を終わった現在、今度はそこから派生したかもしれない弊害も、我々を取り巻いています。処方箋が見つかるわけではありませんが、「方法序説」を通してデカルトの歩みを目の当たりにする事は、問題の出発点を具体的に感じ取ることを可能にしてくれるかもしれません。(p.180)

 

◆参考文献・引用元

René Descartes(1637), ”Discours de la méthode”(谷川多佳子 訳(1997)『方法序説岩波文庫。)

谷川多佳子(2014)『デカルト方法序説』を読む』岩波書店