◆概要
【執筆動機・目的】
「死の本質について考え始めた時に沸き起こってくる哲学的な疑問の数々を検討する」(p.15)
ex.死んだらどうなるのか、存在し続けるとは、生き延びることの意味、死は悪いものなのか、自殺について
【想定読者】
死をしっかりと凝視し、賛否両論を徹底的に検討(p.21)したい人、初めて考える人にも、死と隣り合わせに生きる人にも役立つ入門書(p.22)
【主張】
誰もが皆、自分が死ぬことを本気で信じてはいない(p.64)、死ぬときは、結局独り(p.81)
◆本文抜粋
〇第1講「死」について考える
【暫定的な意見】本書で私が述べたことがこのテーマに関する決定的な見解などとは思い込まないでほしい。(p.23)
〇特別書き下ろし 日本の読者のみなさんへ
【魂と身体】(日本語訳版で含まれていない)その内で最も重要なのは、「二元論」の見方と「物理主義」の見方の区別だ。(中略)私たちの意識や思考、感情、欲望、記憶等は皆、何か非物質的なもの、何か体とは異なり、全く有形物ではなく、完全に違う種類のものに基づいている、あるいは依拠しているという見方だ。(p.25)
〇第2講 死の本質
【死の定義、P機能・B機能】死の瞬間を定義するにあたっては、どの機能が決定的に重要なのか?(人格説、身体説)(p.37)
〇第3講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
【死を信じない根拠】「死んでいる自分」を想像できないから。「自分の体がいつか死ぬ」とは本当は信じていないから(pp.65-80)
〇第4講 死はなぜ悪いのか
【存在要件.ラリー】まったく生まれなかったと言うのは本当に最悪だと言えるだろう。(p.131)
【生前と死後】「生まれる前」と「死んだ後」の時間は、同じ価値を持つか(p.135)
【剥奪説】死のどこが悪いのかと言えば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。(p.146)
〇第5講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
【不死と退屈・人格のジレンマ】不死は永遠に維持する価値があるものであり得るだろうか(中略)不死は実は、ぜひそこから逃れたくなるような悪夢となるだろう。(p.168)
〇第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
【死の恩恵】人生が悪いものに変わらないうちに私たちは皆死んでしまうと言うのは、依然として正しいかもしれないのだ。(p.196)
〇第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
【死と快】ひょっとすると私の遍在性は実は悪いことではなく良いことかもしれない。(中略)飛行機から飛び出すのが魅力的なのは、死の危険が急増するからだ。(p.219)
〇第8講 死に直面しながら生きる
【死と私】事実を無視することが、どうして私たちにとって理にかなっているなどと言うことがあり得るだろうか?(中略)事実を無視すると言うのは、知的に許容できる選択肢としては受けとめようのないものなのかもしれない。(中略)(しかし)ときには無視するのがふさわしいのだ。(pp.235-238)
〇第9講 自殺
〇死についての最終講義 これからを生きる君たちへ
【自殺】残念ながら、生きている方が良いとは、もう言えなくなる時を迎える人もいる。そしてそうなったら、人生は何が何でも、いかなる状況下でもしがみついていなければならないものだとは言えない。手放すべき時が来るかもしれない。(p.374)
memo.試合終了がランダムなサッカー
◆参考文献・引用元
Shelly Kagan(2012), ”Death (The Open Yale Courses Series)” Yale University Press. (柴田裕之 訳(2019)『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』文響社。)
◆所感
特に目新しくも無い思考実験を小難しく述べている印象。「お、、おう、、」という感。死を身近に感じると感想も変わるのだろうか。心が軽くなるのかもしれない。
こうした本を読んでいる時間も、死に近づくために費やされていることを忘れてはいけない。