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FESTINA LENTE

【雑談7】事故物件での暮らし

事故物件に住んだことがある。きっかけは「会社に近すぎる寮生活に飽きたタイミングで格安物件を発見した」ことによる。「この商品は高価です。”そのため”この商品は高価なのです。」というように、高価な商品にはその根拠に実利が乏しいこともある。しかし安い商品には必ず理由がある。発見した物件では直近で人が死んでいた。しかも自殺だった。したがって安い。そういうお話である。

 

 

当時の住居は新卒就職先の社員寮(静岡県沼津市)だった。築2年の寮は美しく、職場まで徒歩5分、1K/25平米/風呂トイレ別で家賃も高くは無かった。寮生活はかなり楽しく、同僚と遊ぶのにも便が良かった。その一方、職場からの近さは僕の生活圏を極端に狭い範囲に留める手助けをした。利便性を閉塞感が上回わったとき、僕は引越の検討を開始した。

 

 

あまり知られていないと思うので補足するが、沼津市は活気の少ない都市である。それは大学が無いためだと思う。大学が無いので、夢や希望、能力、常識を兼ね備えた若者はみんな外部に流出する。逆にいうとこれらが希薄な若者がパートタイムでダラダラと仕事をしていることが多い。沼津市の数少ない名産は「干物」である。「沼」なのに「干上がってしまう」というどうしようも無さを象徴する名産だと感じたものだ。

僕の引越先は、そんな沼津市の中でも郊外中の郊外にある「原」という地域だった。

 

 

格安物件の内覧を申し込んだ際、不動産屋の担当者は「大変申し上げにくいのですが」と切り出してきたので、「先約で入居が決まってしまったのか」と思ったが二の句は予想と違った。「訳アリの物件でして、、、」という担当者の言葉を理解するために僕はいくつかの質問をした。そして以下のことが分かる。

●前回の入居者が自殺
●自殺者は単身者
●自殺はドアノブで実施(そのドアは工事で埋める予定)
●物件自体は新しくきれいである
●2DK、38平米
●家賃53,000⇒28,000円(Discount)

ドアを工事で埋める、という説明を受けている途中から「たいした問題ではないな」と感じていた。埋められてしまうという見たこともないドアに対して同情すらしていた。べつにドアは悪くないし、その延長で家も悪くない。しかしドアは埋めらるし、家の賃料は下がる。(まあでもそういうものかもしれない。)

 

 

霊的な存在を否定してはいない。見たことは無いがいるかもしれない。しかし霊的な存在を考慮しても、依然問題はないと判断できた。なぜなら(仮にそうした存在がいるのなら)自分の守護霊は最強クラスと確信できるからだ。「運がとても良い」という自覚があった。「幸運」が単なる確率論なら「霊はいない」し、「幸運」が守護霊のおかげなら「霊を気にする必要はない」ことになる。どちらにしても、問題を感じる必要が無かった。

一方で「事故物件に住む」という一般的な価値観から逸脱する行為への「世間体の悪さ」は理解していた。こちらは場合によっては実害(噂など)を伴いそうだったので隠蔽することにした。(わざわざ自分から言う必要はない)

 

 

引越先(原地区)は海から近かったので、休みの日はよく海岸線を散歩をした。天気のいい日は富士山も見えたし気持ちのいい場所だった。徒歩圏内にスーパー銭湯もあったし、その近くにある中華料理屋も美味しかった。(その中華料理屋で彼女との別居婚 が決まった)

この物件には3年ほど住んだが、霊的な存在を感じ取ることはなかった。散歩習慣や田舎暮らしといったライフスタイルの変化は、僕に好ましい影響をもたらした。総じて、事故物件はとてもいい物件だったといえる。その理由が霊的なものだったとしても、なかったとしても。