THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

【雑談15】有限のパンを焼く


感じ方に個人差はあるが、往々にして(すくなくとも僕にとって)「はじめての経験」は、特別なものとして記憶される。

そしてここで記すのは「はじめてのアルバイト」についてである。

 

 

高校生になったころの僕は、遊ぶお金が欲しかった。(当時はあった)髪を染めたり、たいして似合わない服を買ったり、女の子と映画やファーストフードに行って非生産的な時間を過ごすためのお金が欲しかった。かつては「高校生でも働ける場所」は今ほどに多くなかった。そのうえ僕は勉強を好んでいたし 、とある文化部の部長もしていた 。ただでさえ少ないアルバイト先の選択肢を、消去法でさらに絞っていく必要があった。そして得られた結論は「働くならここしかない」という唯一の場所を知ることだった。そこが、マクドナルドXXXXX店である。

 

 

僕を面接してくれたのは、店長の佐伯さんだった。面接での最初の質問は、「いつから入れるの」だった。僕は勝手がわからないなりに「もし望まれるのでしたら、今日からです」と答えた。佐伯店長との面接はすぐに終わった。ミレニアムイヤーの春、そのようにして、僕はマクドナルドのクルー(従業員)に採用された。

 

 

あとから分かった話だが、佐伯店長は僕を面接した時点でかれ自身が退職することを決めていた。僕が入店した二週間後に佐伯店長の退職が告げられ、かれの送別会と僕の歓迎会は同時に催された。退職事由は「郵便局員になりたい。だから試験勉強をするための時間がほしくてやめるんだ」ということだった。ハンバーガーを売る仕事から、郵便物を運ぶ仕事に転職することについて、当時の僕はよく意味が分からなかった。

 

 

今になって思えば、唯一の選択肢として働くことになったマクドナルドXXXXX店は、働いたことのない僕にとって「最良の職場」だった。「緩さ」と「規律」がちょうどよく共存していたためだ。

今は直営の店舗だが、当時はフランチャイズ店であり、店内の規律は緩かった。どれくらい緩かったかというと、アイドルタイムに照り焼きソースで焼きそばを焼いて遊ぶくらいには緩かった。佐伯店長の後任で異動してきた店長はそれなりに厳しい人柄だったが、僕たちは彼の眼を盗むことをそれほど難しいとみなさなかった。

 

 

緩いといっても水準以上の規律は存在していた。バンズやパティの数やホールディングタイム(廃棄までの時間)をすべて頭に入れ、刻一刻と変わる状況変化に応じて、適切な動き方をする必要がある。認識と判断の連続。より早く、より正確に。

今でも、仕事や私生活で複雑な状況に直面したさい に深呼吸をすると、マクドナルドの昼ピーク時間帯の【音】が頭に鳴り響く。そして思う。

「やらなくてはいけないことが無限にあるように感じるが、それは錯覚だ。バンズやパティの補充やハンバーガーのアッセンブル、ひとつひとつを焦らず、素早くこなしていけば、いつか客はいなくなる。客が有限であるのと同様に、深刻な問題/トラブルも有限だ」と。

 

 

とにかく僕は、有限の客をさばくために、有限のバンズを焼いた。

 

 

つい先日、とある場所で佐伯店長(もっとも、もう店長では無いが)と再会した。24年ぶりの再会だったので最初は自信が無かったが、名刺を交換し確信を得た。「もしかして、佐伯店長ですか」と聞くと、意外なことにかれも僕のことを覚えてくれていた。「ぼく、退職まぎわにキミのこと面接したよね」と。

「正直、人は足りてたから落とすつもりやったんよなあ」
「そうだったんですか」
「まあ、会うだけ会うか、って思ってな」
「そのわりにすんなり面接おわりましたよね」
「だってキミ、今日からでも入れるって言ったやろ」
「言いましたね」
「そういうことをすぐに言えるやつは、採用しようと思うもんなんや」

 

 

佐伯店長は、マクドナルド退職後に郵便局員になるための試験(当時は公務員試験があった)に二度落ちて、紆余曲折を経て今の仕事をすることになったという。

「けどなあ、今になって思たら、マクドで働くん楽しかったよなあ」
「そうですね。けどそれ、辞めたから思うことですよね。多分」
「言えてるわ。あん時はあと一枚たりともバンズ焼きたない思てたわ」
「そうなんですか」
「生きてるうちにあと何枚焼くんやろ、思たらイヤになってなあ」
「逆に、どうして郵便物を届けるのはイケそうだと思ったんですか」
「若かったからや。思えば郵便物も同じや。そのうちイヤになってたやろ。ハハハ、そんな考えやから試験にも落ちたんやろな。いずれにしても、人生には気晴らしが必要なんや」

 

 

かつて僕は有限の客をさばくために有限のバンズを焼いて、有限の給金を得た。そこで得た経験を糧にいろいろな仕事をすることになる。それぞれが別の仕事のようにも思えるし、いろいろなタイプの「バンズ」を焼いたにすぎないともいえる。

***

「さて、話を戻すんやけど、くだんの件いつから動けそう?」
「それは、まあ」
答えを考える必要のない質問だった。むかし見たことのあるタイプのバンズである。
「もし望まれるのでしたら、今日からです」

***

むかしながらの焼き方で、新しいバンズを焼くことを知る。