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FESTINA LENTE

ルキウス・アンナエウス・セネカ(45)『怒りについて他二篇 』岩波文庫。

◆概要

【想定読者】

為政者、権力者、他

 

【執筆動機】

(想定読者への)牽制

 

【主張】

危険きわまるものは、支配するより締め出す方が、一旦認めてから抑えるより認めない方が簡単である。(中略)最善なのは、怒りの最初の勃発を直ちにはねつけ、また種子のうちに抗い、怒りに陥らないよう努めることである。(pp.100-101)

 

◆本文抜粋

まず第一に、われわれが言ったのは、怒りとは罰を課すことへの欲望であると言うことであって、その能力ではない。人間はできないことですら熱望するものである。(p.92)

 

ある人々などは、最善なのは怒りの制御であって除去ではないとみなしている。そして、溢れ出てしまう分は取り除いて、安全な限界のうちに押さえて保持しておくことである、と。(中略)危険極まるものは、支配するより締め出す方が、一旦認めてから抑えるより認めない方が簡単である。(p.100)

 

もし怒りが理性の言うことを聞き入れて、指示される通りに従うなら、それはもはや怒りではない。(p.104)

 

情念は、適度であれば役に立つ。いや、そうではない。(中略)怒りが小さければ小さいほど害も少なくなる、と言うことでしかない。(p.106)

 

身内のために怒るのは、敬虔な心ではなく弱い心の証拠である。(p.110)

 

時おり悪徳の貢献が多少あったからとて、活用すべく受け入れてはならない。(中略)怒りは、時に役立つことがあったとしても、毒や墜落や難破が予期せずして有益だった場合と同じく、救いになるとみなすべきではない。(p.111)

 

いちばん怒りっぽいのは幼児と老人と病人である。およそ、ひ弱なものは本性状、愚痴っぽい。(p.112)

 

一つも罪を見出せなかったので、どうすれば3つの罪を犯せるかを考えだしたのだった。(p.122)

 

プラトーンも言うように、誰であれ、思慮あるものなら、処罰を課すのは、犯罪が犯されたからではなく、犯されないようにするためだからである。(p.124)

 

誰であれ、思慮があるものなら、処罰を課すのは、犯罪が犯されたからではなく、犯されないようにするためだからである。(p.124)

 

怒りは一番女々しくて子供っぽい悪徳なのだ。(p.126)

 

【判断】はたして怒りは判断によって始まるのか、それとも衝動から始まるのか、と言うことである。(中略)怒りは単に動くのではない。暴走するのだ。突発的な衝動だからである。(pp.130,134)

 

怖れられる事は、軽蔑されることより危険が大きい。怒りの力が尽きれば、蔑視にさらされがちで、嘲笑を免れない。(p.146)

 

カエサルの逸話)彼は怒っても度が過ぎることがなかったが、それでも怒るのが不可能な方を好んだ。許しの中で一番嬉しいものは、各自がどんな罪を犯したか知らないでいる場合だ、というのが彼の持論であった。(p.165)

 

【遅延】怒りに対する最良の対処法は、遅延である。(p.174)

 

【反応】(ディオゲーネスの逸話)私は全く怒っていない。怒るべきかどうかは、まだ考えが定まっていないが。(p.256)

 

損害、不正、悪口、嘲笑を軽んじ、大きな心で短い災厄に耐えようではないか。よく言われるように、我が身をひねって振り返っているうちに、死はすぐそこにいるのだから。(p.264)

 

◆参考文献・引用元

Lucius Annaeus Seneca(45)”De Ira”(兼利琢也訳(2008)『怒りについて他二篇 』岩波文庫。)

 

◆所感

怒りを「無いほうが良い」としつつも、怒りへの対処法も書かれた書籍。多角的な視点でいかに怒りが無い方がいいのか、というアプローチで記述されている。

 

 

BJで「怒りの原因を要素分解」することが話題となった。なぜ怒ったのか、を考えるとき怒りの対象への「愛情」がひもづいていることも多い。他方で、なんの関心も無い人に対しては冷静でいられる場合もある。「愛情と怒り」「関心/無関心と怒り」

 

 

もしかするとすべてに対して無関心なら、怒りもわかないかもしれない。しかし、ミスタースポックも次のように述べている。

「感情が争いを産む代わりに、また、愛も生まれ、美しさもわかる」

StarTrek The Original Series Episode 61)

 

 

とはいえ、(感情の中でも特別に制御が困難な)怒りは、「無いほうがいい」と考えるくらいでちょうどいいのかもしれない。