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FESTINA LENTE

平成財政史1-1

【1巻の目的】 
平成元~12年度とは、どのような性格をもった時期であり、その中で財政がいかなる位置に置かれ、いかなる機能を果たしたのかを概観するのが本巻の課題である。(p.4)

     

 

【日本の地政学的地位の低下と米国態度の変化】
気前のいいアメリカ、寛大な覇者アメリカから、ユニラテラル、自己利益至上主義、身勝手な競争相手のアメリカという側面が―この時俄に出現したというわけではないにしても―その後の日本の政策形成を強く制約することとなる。(pp.10-11)
     


【冷戦の終焉】
本財政史シリーズの対象とする期間が失われた10年などと表現されるような長期の不況に捉えられているのは、以下で検討するような多くの要因に基づいているが、その基底には、こうした冷戦終焉による世界の体制の転換が横たわっているのである。(p.12)
    

    
ベルリンの壁
冷戦体制終焉の一環をなす東ドイツ消滅が、玉突き状の筋道をたどって日本の平成初期の経済に大きな影響を与えていることがわかるであろう。(p.14)
     


プラザ合意
コミュニケの文面には「ドル切り下げ」や「為替相場への介入」などの言葉は用いられておらず、「主要非ドル通貨の対ドルレートのある程度の一層の秩序ある上昇が望ましいと確信している」とさり気なく記されているにすぎない
(中略)
ドルはこうして当事者の思惑をはるかに超えたとはいえ、ともかく予定どおり下落した。だがそれは、ドラマの一幕にすぎない。(pp.17-18)
      
【日銀公定歩合引下(2.5%)】
これは日本国内では急激なドル安円高がもたらすであろう円高不況が深刻に憂慮されるので、それへの緊急不可欠の対策として専ら弁証された。
(中略)
この政策が、予想される不況への国内的対応であることは疑いないが、同時にそれがこの時点で国際的な資金循環を支えるほとんど唯一の手段であったことも否定すべからざる事実であった。(pp.19-20)
     
ルーブル合意
ルーブル合意は、ドルのこれ以上の下落に歯止めをかけ、大幅に下落した水準での安定を図ろうとするものであった。(中略)プラザ合意を超える洗練された国際協調システムが構想されていた。ただし、それらの構想は実際にはほとんど実現しなかった。(中略)ルーブル合意はあまり有効に機能したとはいえない。(p.20)
     


【大蔵省の進言/excuse】
「このとき大蔵省はこれほど大きな経済対策は必要ないと主張したのですが、中曽根総理主導で、これほど巨大な規模になってしまったのです。そしてほとんどすべてのマスコミがこれを歓迎していました」(p.24)
     


【銀行】
次にこのドラマの舞台回しかむしろ主役ともいうべき銀行・金融の様相を一瞥しておきたい。全体は日本銀行による超低金利の導入・継続という土台の上に組み立てられていて、金融・銀行はその舞台の上のメインプレイヤーだったからである。(pp.48-49)
  


【迂回融資】
もっとも、総量規制対策としての抜け道がなかったわけではない。金融機関は、融資先の不動産業やノンバンクの資金繰り難が自己のそれら業態への融資の返済困難をもたらす恐れがあるとして、総量規制の対象外の住宅金融専門会社住専)や一部のノンバンクへの融資を膨張させ、それら業態への融資増を期待し促したのである。いわば迂回融資増加である。(p.59)

 


住専】    
農林系統金融機関も住専に対する融資を急増させている。もっともそれらの融資は膨大な不良債権と化して以後の平成期の経済、金融面の課題の核をなす運命にあった。(p.59)
    

住専は深刻ではあったが問題の一部にすぎず、これを契機に広く不良債権処理の一般的な手法の整備が目指されて、8年6月、金融3法(経営健全性確保法、更生手続特例法、預金保険法の一部改正法)が制定された。(pp.66-67)(矮小化?)

 


【登山の比喩】
山登りならば、登山口から上り始めて頂上を極め、以後下りに転じて、もとの登山口なりほかの場所なりまで下ることで無事その企画は完了し後に特に残るものはない。図1-2-6は一見そのようにみえるかもしれない。だがこの図は株価や地価の上下であって登山ではない。それに関わった企業や投機者のほとんどすべての財務構造が上りと下りを経た結果一変し、ひいては日本経済の態様が一変するのである。(p.60)
    

 

不良債権
銀行勢の主体は都市銀行長期信用銀行、信託銀行などであり、農林系統金融機関もそれに加わっている。ということは、日本の金融の中枢部分がこの混乱に巻き込まれているということであり、全体としての金融システムが動揺するということにほかならない。これが、この後述べる本財政史シリーズの対象期間全体を通じての経済の停滞、金融の収縮からひいては大きな財政支出につながる住専問題、不良債権問題の始まりである。(p.64)
    

 

【租税構造の変化】
本シリーズの対象期は、所得税法人税に支えられた伝統的な日本の租税構造が、所得税法人税、消費税という3本柱へと変わった歴史的な画期として記録されるであろう。それは根本的には長期不況のしからしめたところであるが、消費税導入にみられるような、税制の現代化の努力や、不況対策としての所得税法人税の減税策などの交錯した作用のもたらしたものであった。(p.90)
    

 

財政投融資】 
この時期一般会計に対する財投の比率は昭和後期に比べてかなり高くなっている。すなわち、昭和後期におよそ40~50%だった比率が、バブル崩壊後60%台を示すようになり、4年度65.4%、5年度69.8%、6年度68.4%と70%に迫っている。この大きさゆえに不況対策の主力としての役割が期待され、それゆえに更に拡大することとなるのである。(p.122)
    

 

【予算】
本シリーズが対象とする平成元年度から平成12年度という短い期間の予算は、その内容はともかく、予算の編成、審議、成立の過程を含む政治過程が、そうした一時的、個別の事情により大きく動かされた局面が目立つ。政治的動揺が繰り返された時期だったのである。(p.131)
        

 

【平成元年予算】
参議院の議決を欠いたまま5月28日に日本国憲法第60条1)により、衆議院の議決が国会の議決として確定した。昭和29年度以来35年ぶりの自然成立であった。政界上層部の金銭スキャンダル、国会の審議停滞、予算の単独可決、審議拒否、暫定予算と暫定補正予算参議院の不採決、予算の自然成立など、およそ予算審議を巡るトラブルと思われる要素がほとんどすべて出揃った感のある平成元年度予算であったが、予算否決はなかった。だが以後の年度には、ほかならぬ予算否決が続出するのである。
(中略)
満身創痍の予算成立をもって平成元年度は明けたのであった。(pp.133-134)
    

 

【予算編成方針】
毎年度の予算編成方針は、政府が予算の核心部分を簡潔に記して国民の理解を求めるのに最適な政策文書・政治文書だといっていい。しかも、本シリーズ対象期間を通じてほぼ同じパターンで書かれているので、読者は年々の変化を跡付けることで、政府が当該年度にどのような政策スタンスを採ろうとしているのか、どこに力を入れているのかを、この短い文書から読み取ることができる。(p.147)
    
「1    財政規模」、「2    公債発行」、「3    税制改正等」、「4    行政改革の推進」、「5    財源の重点的かつ効率的配分」、「6    予算及び財政投融資計画の弾力的運用」、「7    地方財政」からなっていて、この構成は8年度までは毎年度変わらない。
(中略)
。元年度は見るとおり「昭和63年度末の公債残高が160兆円に近づき、国債の利払費が歳出予算の約2割を占めるなど引き続き極めて厳しい」という文で始まっているが、2年度以後もほとんど同文で、2年度「160兆円を上回る見込み…約2割…」、3年度「165兆円にも達する見込み…2割を超える…」、4年度「170兆円を上回る見込み…2割を超える…」、5年度「176兆円を上回る見込み…2割を超える…」、6年度「190兆円程度…国債費が政策的経費を圧迫する…」、7年度「200兆円を超える見込み…国債費が政策的経費を圧迫する…」、8年度「約222兆円に増加する見込み…国債費が政策的経費を圧迫する…」などと、年々公債が累積していくのに対して、これを抑制して財政の対応力を回復せねばならないと主張している。(pp.150-151)
    

 

【主計局の知恵】
この年度には特例公債抑制と並んで財政支出の繰延べ措置、いわゆる隠れ借金の解消による財政体質改善も大幅に進んだ。抑制された一般歳出の中で過去の負債を清算し、それによって「予想外の税収増を決して無駄遣いされないようどうやって、目立たなくするか」という「主計局の知恵」である。(p.162)
    
一番苦心したのは、表向きはぎりぎりの編成になるように最大限の努力をする必要がある…自然増収を食い逃げされないよう」にすることであった。そのために採られた策の一つが、NTT株の売却中止(元年9月)であった。「これはもちろん理財局の仕事ですけれども、綿密な打ち合わせをして、株式市場の環境からしてNTT株はこれ以上売るべきではない。これを売ると、さらに市場に悪影響があるという説明をした…そういう理屈で売却を中止するということにしまして、しかし、NTT株売却代金でやっていた公共的事業というものはやらざるを得ない。したがって、これはどうしても整理基金特会〔国債整理基金特別会計〕にその分だけ繰り入れなきゃいけない。要するに、剰余金なり、自然増収のかなりの部分はそれに使うんだというのが余計な支出増を避けるための1つの大きな材料に使えた」。2)この他「剰余金の少なくとも半分以上は国債償還財源だということとか、自然増収が幾らあったって、まず4分の1は地方交付税で持っていかれちゃうんだとか、そういういつも使う説明に加えて、何よりも国債整理基金特会が定率繰り入れをこれまでずっと停止していて、しかもNTT株が売れないということになると特会は底をついてしまう。これはどうしても手当てをしなきゃいけないというのが、数字から言っても大変大きな説明要因だった」。NTT株売却停止という大蔵省だけの判断で可能な手段を用いる、いわば迂回作戦による奇手で、予算の緩みが生ずるのを防いだのである。
(中略)
元年度の補正の段階で特例公債をゼロにするということは、それが実際に出来るとしてもそれは全体の流れの中では、むしろよろしくないのではないか。いろいろ苦労を重ね、歳出を抑え、緩まないで、そして、返すべき隠れ借金等はかなり返して、その上で2年度に予定どおり、新規特例公債ゼロの目標にやっと到達したというプロセスを踏むことがその後の財政運営のためにもいいはずだ…従ってそれからもっぱら隠れ借金の返済を中心に、実質的な財政内容の改善に努めてきた。そして、2年度にきれいに当初予算で特例公債依存度ゼロ、こういう姿をつくり出す準備を重ねてきた。2年度予算の前提として、これがポイントだったろうと思います。(pp.164-166)

 


【90億ドル拠出(湾岸戦争)】
国際社会、国際政治、国際経済等に占める日本の位置にかんがみ、総合的に判断し、自主的に決めたというこの説明が、公的な説明として定着したといっていい。しかし、それが90億ドルという数字に帰着する説明としてはあまりに漠然としすぎているようである。(p.187)
        

 

【日米構造問題協議】
アメリカ側としては、そもそもこの協議は、対日貿易収支、経常収支の大幅赤字を、日本側の責任として解消させようという意図に基づいて発議しているのであった。(p.200)
    
アメリカ側に劣らず、日本側も内政干渉ぎりぎりまで踏み込んだ議論を展開したことが察せられよう。ただ日本側もアメリカ側も、必ずしもこの協議の結果というだけでなく、それぞれの国自身の必要から採用している政策もこの最終報告には含まれていると思われるので、その識別は必要であろう。それにしても公共投資基本計画のように、財政の基本に係る大がかりな新計画はアメリカ側に対してはなかったようにみえる。アメリカの粘り勝ちの気配であるが、平成財政の開始時点で、日本財政が置かれた国際的位置が示された重要な事例として記憶に止めるに値する出来事であった。(p.210)
    

 

【平成3年予算    主計局長の所感】
一言でいえば、湾岸戦争がなければ、僕の主計局長というのは非常に平穏無事であったんだけど…経験したこともない、珍しい予算編成をしたことに相なる。(p.212)
    
我々としては、当時の税収がいいものですから、なるべく一般歳出の方に回されないように、多少厚めに予算計上した…金利情勢全体が上がっておりました…積算の金利は7.1%、前年度は5.1%でありますから、2%引き上がる計算をしてあります。と同時に、諸先輩の残された遺産をかなり処理いたしました。交付税が3900億円とか、国鉄の債務を引き受けたものが1100億円とか、清算事業団のものが600億円とかいうようなことで、特定債務の処理に5600億円を使い、そして、金利の2%アップで9000億円をここに入れたというようなことで、かなり国債費は手厚くといいますか、年度途中の、いざとなれば、財源として使えるようにしておいた。(p.215)
    
この時期の予算編成関係者は、当時の豊富な税収に不安定な要素が少なからず含まれていることに留意して、むしろ意識的に引締めを強め、財政の体質を強化することを志していた。その最大の成果が2年度の特例公債依存体質からの脱却の成功とその継続である。中央・地方を通じて、明示的ないし隠れ借金の解消が進んだことが第2の成果である。ただこれほど税収増に恵まれた時でも、予算繰入れによって累積した公債残高を崩していくところまではいかず、金利負担を削減して政策経費を充実させる、という財政体質改革の達成はならなかった。(p.229)
    

 

【特例公債への牽制/平成4年度予算建議】
特例公債を発行するということは、経常的経費は経常的収入で賄うという基本原則に反するものである。かつ、社会資本という形で後世代に資産を残さず、他方で利払費等の負担だけを残すこととなり、負担の公平という観点からも大きな問題がある。また、ひとたび特例公債を発行すると、歳出増加圧力に対する歯止めがなくなり、財政状況の急速な悪化への道を開くこととなりかねない。昭和50年度補正予算で特例公債を発行して以来、特例公債の発行なしに予算を編成するに至るまでに実に15年の年月と並々ならぬ努力を要したことを想起すべきである。しかも、その後遺症が多額の公債残高として現在の我が国財政の硬直化要因となっている…更に、今後の急速な高齢化の進展を考慮すれば、特例公債の発行が後世代に残す後遺症による弊害は一段と大きいものとなるので、その発行は厳に回避すべきである。(p.232)

    

【減税圧力/平成5年度予算】
当時は減税先行論が非常に強かったわけですから、減税しろ減税しろの大合唱であったわけです。クリントン政権がいよいよ登場しまして、非常に強い要求だったわけです。減税は必至だというムードでありました。
(中略)
アメリカは、冷戦終了に伴うクリントン政権の登場ということで、政策の重点を安全保障から経済に移しており、いろいろと注文がつけられました。これが、その後の税制論議などに、いろいろな影響を及ぼしたことも事実です。アメリカの政策スタンスというのは、日本の政策に実に大きな影響があるのです。(p.257)
        

 

【平成6年予算の概況】
どのような予算でも政治的でないものはなく、むしろ予算こそ政治の中核をなしているものであろう。だが平成6年度予算はそうした一般的な意味だけではなく、この時特有の政治的、政局的、政争的要因から来る動揺に彩られて、様々な紆余曲折を経て成立している。景気についていえば、結果的には、一応平成5年10月にはバブル崩壊後の不況の底についたことになっているが、平成6年度予算編成期には不況脱出感はほとんどない状況で、それからの脱出を目指して所得課税の軽減が最大の論点、政治的対立の焦点となっていたのである。(p.270)
    

 

【バブル後の予算編成特徴】
この時期の財政・予算を導いた考え方には、二つの大きなポイントがあった。一つは経済の前途を比較的楽観的にとらえ、バブル期の異常な拡張が収まって適正、正常、平穏な状況になり、インフレなき穏やかな成長路線に入るだろうと予測していることである。年々引き下げられてはいくものの、毎年の政府の経済見通し・成長見通しの水準はそうした見解に基づいて提起され、当然当初予算での税収はその線に沿って見込まれる。だが既に3年度から、予算の執行過程の進行とともに、見通しと実体との乖離が広がってゆき、4年度以降はその度合いが深刻化する。その端的な結果が、景気弾性値の高い法人税等の急速かつ大幅な減収である。もう一つのポイントが、財政・予算を通ずる景気対策に対する慎重な姿勢である。不況の深化とともに、経済界・労働界・野党などからの景気対策としての財政の出動を求める声は当然高まっていく。だが15年の苦闘の後やっと平成2年度に特例公債依存体質から脱却したものの、その間累積した多額の公債残高がもたらす、硬直化した財政の体質改革の課題を抱え続けている財政当局をはじめ、財政制度審議会や政府税制調査会は、財政の景気政策的運用、特に一般会計の特例公債再依存に結びつきかねない減税や歳出増については、終始慎重な立場を堅持しようとし、毎年度の当初予算はおおむねその線に沿って編成された。上記の成長見込み、税収見込みがそれを支えていた。(pp.289-290)