THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

【雑談12】迷宮に放り込む

「複雑な問題」というものがある。「複雑な問題」を解くためには、「複雑な思考」が必要かもしれない。僕はしかし、なるべくそう試みないことにしている。それには第一に、「複雑な思考」を用いることが自分には出来ないと考えているからで、第二に(そもそも)「複雑な問題」に取り組む必要はないと思う(ことが多い)ためだ。つまり、「出来そうにもないし、やる気もない」ということだ。これが大前提となる。この文章では、そうした自身の価値観の構成要素を棚卸しして、整理することを目的としている。

 

 

問題を考えるとき、「どんな問題かが問題とならない問題」というものがある。「楽しいから勝手に取り組める」という場合が該当する。このゾーンに属してさえいれば、いかなる問題も取り組み方を考慮する必要はない。楽しんでやっていればいいだけの話となる。

一方で、「楽しいかどうかよく分からないが、取り急ぎ解決することは出来そう」というゾーンがある。どんな問題でも、解決すると一定の達成感がある。だから「楽しいかどうかよく分からな」くても、解決することが出来る限りは、ある程度続けることが出来る。

しかし、こうした問題に取り組んでいると、時々「複雑な問題」に出くわすことがある。ここでいう「複雑な問題」とは、ちょっとした工夫では対処しえないヤバい感じのする問題をいう。冒頭で書いたように、僕はこうした問題を避ける/放棄することが多い。「楽しいかどうかよく分からない」程度のテンションで挑むのは、ちょっと割が合わないと感じている。

 

 

ただ、複雑な問題を避けるとしても、ある種の期待は残している。つまり「こうなったらいいな」という願望めいたものはある。たとえば、(算数オリンピック図形問題別解で頻出だが)「ここが明確になれば解決するけど、超難解」という部分が「不明なまま」答えを出す*といった類の流れだ。「複雑なものは無視して手を付けないが、問いは解決する」という状況である。

これと似た発想で描かれた『迷宮入り探偵』という漫画がある。この漫画の主人公(探偵)は、「動機もアリバイもトリックも見破れないけど、犯人さえ当てればオールOK!」としている。僕の立ち位置は概ねこの通りである。問題の複雑な部分は無視する。さらに言うと、問題解決そのものを放棄(=迷宮入り)していいと考えている。

*「不明なまま」答えを出す、の補足
●手強そうな部分は避ける、という発想が原点
●これは「解けない」と判断した場合、問題解決の放棄を肯定しやすい価値観

 

 

「下手の考え休むに似たり」という諺がある。問題解決を放棄して、実際に休めばいいと思う。どうせ結果は変わらない。むしろ、余分な思考力を消費することは問題解決の助けとはならないばかりか弊害である。焦りが良い結果をもたらすことは稀だ。結果がついてきたときは「焦ったおかげで結果が出た」と考えるより「焦ったにもかかわらず結果が出てしまった」という心境になる。焦りそうになった際の休息は、良い結果をもたらすイメージがある。

つい先日出場したフルマラソンでも、こうした所感が強化された。年明けからほとんど運動せずに当日を迎えたので、失格/良くてギリギリゴールを予想した。しかし結果は、運動習慣があった頃より30分も早くゴールできた。これには休息の重要性を改めて認識することとなった。

 

 

こうした視点に立つと、選択すべきは「楽しんで取り組む」か「休む」の二択でいいという結論に達する。「休む」は、「問題放棄」の後に発生する余暇で可能となる。先に少し述べたが、僕はこの「問題放棄」を頭の中で「迷宮に放り込む」というイメージで実行している。

「複雑な問題」に対峙すると、まるで自分自身が迷宮に入っている感覚になる。しかしそこで、迷宮に入るべきなのは、自分自身ではなく問題そのものではないか、と考える。だから「目障りな問題」は迷宮に放り込んで、「2度と目の前に現れるなよ」という気分で消えていただくことにする。最初にも言ったように、「複雑な問題」と相対することを避ける前提で発想している。

 

 

ところでまれに、迷宮から(勝手に)脱出する問題もある。これはすなわち「問題の複雑性がなんらかの形で解消*した」ことを指す。放棄した問題が解決するのは、たとえ当事者でも他人事に近い感じがする。「棚からぼたもち」とかそういう類の出来事として処理する。

*「なんらかの形で解消」の例
●時間の経過により問題そのものの複雑性が低減する
●自身の価値観の変化により問題に魅力を感じ、複雑性が気にならなくなる
●自身の能力の変化により問題の複雑性が相対的に低下する

 

 

世の中的には、「嫌なことでも我慢して取り組むことで成長する」という価値観がある。それはまったく否定しないが、僕には単にそれが無理で、やる気もないという話となる。リソース(能力や時間)に限りがある。嫌なことに取り組んだり苦しむ時間はゼロに近付けたいし、一方、楽しんでやれそうなことはたくさんある。そこにリソースを注ぎたい。

もはや何をいつどういう経緯で迷宮に放り込んだかも忘れてしまっているが、今後とも、どんどんと迷宮に問題を放り込んでいきたいと思う。

 

【参考:考え方に影響を受けた本】
G.Polya(1945)"How to Solve It"(柿内賢信訳(1954)『いかにして問題をとくか』丸善株式会社。)