THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

ブレイディみかこ(2019,2021)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー1&2』新潮社。

【執筆動機】

英国の元底辺中学に通う息子の経験や葛藤を通じ、「困難で複雑な時代」(p.5)を生き抜く気づきを得る。

 

【想定読者】

多様性への理解を深めたい人

 

【主張】

差別は無知からうまれる。多様な価値観を自分に置き換える(エンパシー/他人の靴を履く)考え方が重要。なお、考え方を知っていても衝突は避けられないことがある。

 

◆本文抜粋

 

「一人一人はいい子なのに、みんな別人みたいになって、どこまで行くんだろうって胸がどきどきした」
品のいいカトリック校に通っていた息子は、暴力的ないじめの現場を見たことがなかったのだ。
「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレイジーになるからね」
「盗むこともよくないけど、あんな風に勝手に人を有罪と決めて集団で誰かをいじめるのは最低だと思う」(p.51)

 

分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分のほうが上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとうときに起こるものなのかもしれない、と思った。(p.65)

 

「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしてると、無知になるから」(p.59)

 

「でも、どうして僕にくれるの?」
ティムは大きな緑色の瞳で息子を見ながら言った。
質問されているのは息子なのに、わたしのほうが彼の目に胸を射抜かれたような気分になって所在なく立っていると、息子が言った。
「友だちだから。 君は僕の友だちだからだよ」
ティムは「サンクス」と言って紙袋の中に制服を戻し、息子とハイタッチを交わして玄関から出て行った。(p.113)

 

「でもそれは母ちゃんが、この人たちの日本への理解はこの程度だって諦めているからとも言える。でも、諦めない人たちもいるんだよ。あなたたちが本当に多様性や寛容さを大切にするのなら、ヒジャブとか手を合わせてお辞儀するとかで終わるんじゃなくて、その先に進んでくださいって。本当に日本の人は手を合わせてお辞儀しているのかとか、なぜムスリムの女性たちはヒジャブを被っているのかとか、その先にあるものをちゃんと考えてくださいってね」(p.30)

 

が、病を患っているほうは、小さな子どもに寄って来られて、ああだこうだと話しかけられるのは鬱陶しい。だから、息子の気持ちはいつも裏目に出て、つらい経験もした。
毎年そんなことを体験しながら、息子はだんだん祖母への対応も上手になった。相手が したいようにさせていればいい、自分の世界と彼女の世界をクロスさせようとしなければ相手は攻撃的になったりしないんだということがわかるようになり、少しばかりの諦念を身に付けて祖母とつきあえるようになった。(p.101)

 

「大人がそういう自分たちの過去をすっかり忘れて、自分は汚れなき市民です、みたいな顔
して、いまどきのティーンは末恐ろしいとか世の中が狂い始めたとか言うの、ちょっと違う
んじゃねえの」(p.140)

 


ビートルズポール・マッカートニーは、最初の結婚のとき、子どもを4人ともふつうの
公立の中学に行かせたらしくて。 デザイナーのステラ・マッカートニーのインタビューを読
んだとき、彼女は最初、セレブリティーのくせに私立に行かせてくれなかった親の決断を許
せなかったけど、いまは、それは彼女の人生に起きたことで最良のことだったと思ってると
言っていた。自分とは違う世界で生きる人たちを知るのは健康的なことだったって(p.201)

 

◆参考文献/引用元

ブレイディみかこ(2019)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社。
ブレイディみかこ(2021)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』新潮社。