THINK DIFFERENT

FESTINA LENTE

國分功一郎(2011)『暇と退屈の倫理学』朝日出版社。

◆概要

【執筆動機】

この本は俺が自分の悩みに答えを出すために書いたものである。自分が考えてきた道がいかなるものであるかを示し、自分が出した答えをいわば一枚の絵として描き、読者の皆さんに判断してもらってその意見を知りたいのである。(p.12)

 

【リサーチクエスチョン】

暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかと言う問い(p.24)

 

【想定読者・主張】

暇と退屈に課題感のある人(退屈の奴隷状態で、この本を手に取らない人にこそ、読んでほしいのかもしれない)

思い煩う必要は無い。(p.338)、贅沢を取り戻す。(p.342)、動物になる(p.350)

 

◆本文抜粋

〇まえがき

〇序章    「好きなこと」とは何か?

【豊かさと不幸の相関】若者にはあまりやることがない。だから彼らは不幸である。(p.14)

memo. 何を必要(やりがい)とするか    ●生徒指導部教師→ヤンキー    ●心理カウンセラ→精神疾患者    ●伊能忠敬→地図のない世界

 

【暇の搾取】暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのかわからない。(中略)そこに資本主義が漬け込む。(中略)今では、むしろ労働者の暇が搾取されている。(p.23)

 

〇第一章    暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?

パスカルの分析】人間は退屈に耐えられないから気晴らしを求める。賭け事をしたり、戦争をしたり、名誉ある職を求めたりする。(中略)愚かなる人間は、退屈に耐えられないから気晴らしを求めているに過ぎないと言うのに、自分が追い求めるものの中に本当に幸福があると思い込んでいる、とパスカルは言うのである。(p.35)

 

パスカルの分析2】退屈する人間は苦しみや負荷を求める、と。(中略)気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみを求める人間のことに他ならない。(p.43)

 

【退屈の対】退屈の反対は快楽ではなく、興奮である(p.54)

美味しんぼハンバーガーの要素」より    *この男、後にハンバーガー屋にな`る

 

〇第二章    暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか?

【遊動と定住】遊動生活がもたらす負荷こそは、人間の持つ潜在的能力にとって心地良いものであったはずだ、と。(p.89)

 

〇第三章    暇と退屈の経済史──なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?

【余暇の活用という概念】工場だけでなく、工場の外でも、休暇という形で働かなければならない。これこそが、余暇は資本の外部ではないということの第一の意味である。資本は労働者をうまく活用するために、余暇を活用し始めた。(pp.121-123)

 

〇第四章    暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?

【退屈と消費】消費社会では退屈と消費が相互依存している。終わらない消費は退屈を紛らわすためのものだが、同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。ここには暇が入り込む余地は無い。(p.161)

 

【本来性なき疎外】「疎外」概念の起源と言われるルソーの自然状態論とはいかなるものか?それは、人間の本来的な姿を想定することなく人間の疎外状況を描いたものである。一言でいえばそこに現れているのは、本来生なき疎外という概念だ。(pp.179-180)

 

【疎外.ヘーゲルマルクス】自分に固有の物を放棄するプロセスのことをヘーゲルは疎外と呼んだ。(中略)その疎外を乗り越えてこそ高い理想を実現できると言うわけだ。(中略)(マルクスは)彼らが投げたものは彼らのもとに戻ってこない。(と反論した)(p.180)

 

〇第五章    暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か?

ハイデガーの退屈形式】一つは、何かによって退屈させられること。もう一つは、何かに際して退屈すること。(p.205)

memo.はっきりとした退屈、工夫された暇つぶし・気晴らし。

例)退屈をしのぐための暇つぶしに忙しい。だから退屈だ。

 

【気晴らしと退屈】退屈と絡み合った気晴らし、気晴らしと絡み合った退屈、退屈させる気晴らし。そうしたものは、何か人間の生の本質を言い当てていると言って良いように思われるのだ。(p.232)

 

ハイデガー退屈第三形式】退屈に耳を傾けることを強制されている。「なんとなく退屈だ」と言う声。(p.236)

 

【退屈と自由】退屈するという事は、自由であるということだ。(中略)退屈する人間には自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよと(ハイデガーは)言っているのである。(p.243)

 

〇第六章    暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?

【環世界】ハイデガーが見出した人間の「自由」は決して絶対的なものではない。それはあくまでも他の動物に比べて相対的に、しかし相当に高い環世界間移動能力に基づくものだ。とは言え、確かに、この「自由」は人間の退屈の根拠ではある。(p.291)

 

〇第七章    暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?

【仕事の奴隷】周囲の状況に対して故意に無関心となり、ただひたすら仕事・ミッションに打ち込む。それが好きだからやると言うより、その仕事・ミッションの奴隷になることで安寧を得る。(p.305)

 

【第二形態と余裕】人間はおおむね第二形式の構造を生きていると指摘することの重要性がここから出てくる。(中略)考えることの契機となる何かを受け取る余裕がある。

 

【退屈と希望】退屈と言う名のパンドラの箱には確かに希望が残っているのである。(p.335)

 

〇結論

思い煩う必要は無い。(p.338)、贅沢を取り戻す。(p.342)、動物になる(p.350)

 

〇あとがき

ある時に、この自分の悩みを考察の対象にすることが出来るようになった。(中略)ある程度勉強したからだと思う。(中略)勉強というのはなんとすばらしいものであろうか。(p.360)

 

◆参考文献・引用元

國分功一郎(2011)『暇と退屈の倫理学朝日出版社

 

◆所感.「退屈の奴隷」は奴隷か

暇や退屈について深く考えずに満足して生活していた人にとって必要性は限定的。「実はね、あなたが忙しく過ごしている時間は、退屈の奴隷状態ですよ。」と意識させる。これはファーストフードを「美味しいな」と食べているシーンで「実はそれ、超体に悪い成分含まれてますよ」と指摘するのに等しい。ただ、この本を手に取るたいていの読者は、最低限は暇で、課題感をもっている可能性が高い気もするので、そこは問題にならないのかもしれない。(そもそも奴隷は「契機を受け取る余裕がない」(p.333)が本書の立場)

 

現時点でなんらかの不満足や課題感のある人には、前進するきっかけをつくるかもしれない。思考を重ねるプロセスは興味深い。なるほど確かになにごとも「楽しむには訓練(教養)が必要」(p.345)である。

 

ただやはり、暇や退屈をつきつめて考えると、楽しめていたものが楽しめなくなってしまうこともあり得る。それを成長ととらえることが出来るかどうかは人による。そこは各位で悩めばよい。本書結論にもあるように「自分を悩ませるものについて新しい認識を得た人間においては、何かが変わる」(p.339)のだから。

美味しんぼ「鮎のふるさと」より

 

*美味しいと満足していたものを「カス」と言ってしまうパラダイムチェンジ。泣くほど美味しいものを食べた彼は幸福かもしれないし、そうではなくなってしまったのかもしれない。(食を楽しむためには明らかに訓練が必要である。(p.344)より連想)

渋沢栄一(1916)『論語と算盤』ちくま新書。

◆概要

【執筆動機】

論語』の教えを、実業の世界に埋め込むことによって、そのエンジンである欲望の暴走を事前に防ごうと試みた(pp.9-10)

(実は)渋沢栄一が書いたわけではなく、その講演の口述をまとめたもの(p.11)

 

【想定読者】

日本国民、実業家

 

【主張】

道理と事実と利益とは必ず一致するものである(p.14)=論語と算盤は一致すべきものである(p.97)

 

社会で生き抜いていこうとするならば、まず『論語』を熟読しなさい(p.20)

 

◆本文抜粋

第1章:処世と信条

【豊かさ】私は常々、物の豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうと言う位の気概がなければ、進展していかないものだと考えている。(p.14)

 

【富の根源】国の富を成す根源は何かと言えば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。(p.15)

 

【学者の間違い】論語の教えは広く世間に効き目がありもともとわかりやすいものなのだ。それなのに、学者が難しくしてしまい(中略)これは大いなる間違いである。(p.24)

 

【争い】私は理由もなく争うような事はしないが、世間の人たちが考えているような、争いを絶対に避けるのを、世を渡る唯一の方針としているように円満な人間でもない。(p.30)

 

【誠実】一言でいえば、私の主義は「何事も誠実さを基準とする」ということに他ならない。(p.40)

 

【名声と失敗】名声とは、常に困難で行き詰まった日々の苦闘の中から生まれてくる。失敗とは、得意になっている時期にその原因が生まれる。(p.42)

 

第2章:立志と学問

【物質・精神】どうも物質文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。私は常に、精神の向上を、富の増大とともに進めることが必要であると信じている。(p.47)

 

【現在を生きる】私は極楽も地獄も気にかけない。ただ現在において正しいことを行ったならば、人として立派なのだ、と信じている。(p.47)

 

【手腕と機会】青年たちの中には、大いに仕事がしたいのに、頼れる人がいないとか、応援してくれる人がいない、見てくれる人がいないと嘆くものがいる。(中略)しかしそれは普通以下の人の話で、もしその人に手腕があり、優れた頭脳があれば、たとえ若いうちから有力な知り合いや親類がいなくても、世間が放っておくものではない。(pp.47-48)

 

【修行の意義】なるほど、ひとかどの人物につまらない仕事をさせるのは、人材や経済の観点から見てとても不利益な話だ。しかし先輩がこの不利益をあえてするのには、大きな理由がある。(中略)およそどんなに些細な仕事でも、それは大きな仕事の小さな一部なのだ。(p.49)

memo.つまらなさの程度による。また受け手の能力、耐える力にもよる。(耐える力が強ければ良いというものでもない)

 

【人格・角】人間はいかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない。古い歌にもあるように、あまり円いとかえって転びやすくなるのだ。(p.56)

 

【志・やりたいこと、できること】

思うに、それ以前に立てた志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らないものであった。だから、しばしば変更を余儀なくされたに違いない。それと同時に、以後に立てた志が、四十年以上を通じて変わらないものであったところを見ると、これこそ本当に自分の素質着かない、才能にふさわしいものであったことがわかるのである。(p.64)

 

第3章:常識と習慣

【常識・中庸】何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動が全て中庸にかなうものこそ、常識なのだ。(p.65)

memo.知恵、情愛、意志

 

【善人・悪人】悪人が悪いまま終わるとは限らず、善人が良いまま終わるわけでもない。悪人を悪人として憎まず、できればその人を善に導いてやりたいと考えている。だから、最初から悪人であることを知りながら世話をしてやることもあるのだ。(p.72)

 

【振舞いと志】実社会においても、人の心の善悪よりはその「振舞い」の善悪に重点が置かれる。しかも、心の全額よりも「振舞い」の善悪の方が、傍から判別しやすいため、どうしても「振舞い」にすぐれ、よく見える方が信用されやすくなるのだ。(p.76)

 

【努力】怠けていて好結果が生まれることなど決してないのだ。(中略)勤勉や努力の習慣が必要なのだ。(pp.78-79)

 

【知識と実践】実践に結びつけるための学びは、一時やれば済むと言うものではない。生涯学んで、初めて満足できるレベルとなるのだ。(中略)「口ばかりで、実践できないものはダメだ」(pp.79-80)

 

第4章:仁義と富貴

【道徳と現実】現実に立脚しない道徳は、国の元気を失わせ、物の生産力を低くし、最後には国を滅亡させてしまう。(p.87)

 

第5章:理想と迷信

【文明】本当の「文明」とは、力強さと経済的豊かさを兼ね備えていなければならない。(p.122)

 

第6章:人格と修養

【自分磨き】自分を磨くことと、自分を飾り立てる事を取り違えているのではないか(中略)、自分を磨くことと、学問を納めることが相容れないと思うのは、これも大いなる誤解でしかない。(pp.139-141)

 

第7章:算盤と権利

孔子と奇蹟】講師の方が高く信頼できる点として、奇跡が一つもないことがある。(p.151)

 

【師と仁】師匠は尊敬すべき人だが、仁に対してはその師匠にすら譲らなくてもよい(p.152)

 

第8章:実業と士道

【武士と商人】武士も商人も、最初は単純な本質だけ守っていればよかったのだが、次第に知識はすり減り、気力も衰え、形式のみ繁雑になっていった。この結果、武士の精神が廃れてしまい、商人も卑屈になって、嘘が横行する世の中となってしまったのだ。(p.184)

 

第9章:教育と情誼

【青年・今昔】「昔の青年は意気もあり、抱負もあって、今の青年よりはるかに立派だった。今の青年は軽薄で元気がない」(中略)今の青年の中にも立派な者もいれば、昔の青年の中にも立派でない者もいた。(p.189)

 

【学問・今昔】「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を得るために学問をする」(p.193)

 

【教育・今昔】昔の教育が百人の中から一人の秀才を出そうとしたのに対し、こんにちは九十九人の平均的人材を作る教育法(中略)ついに現在のように並以上の人材が有り余ってしまうという結果をもたらしたのだ。(p.203)

 

第10章:成敗と運命

【学問】学問の力を知りたければ、こう考えれば良い。賢者も愚者も、生まれたては同じようなもの。しかし、学問をしないことによってたどり着く先が異なってしまう。(p.212)

 

【運命】成功したにしろ、失敗したにしろ、お天道様から下された運命に任せでいれば良いのだ。こうして、たとえ失敗してもあくまで勉強を続けていれば、いつかはまた、幸運に恵まれる時が来る。(p.219)

 

【泡】一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものなのだ。ところがこの泡に憧れて、目の前の成功や失敗しか論瀬られないものが多いようでは、国家の発達や成長が思いやられる。(p.220)

 

【成功とカス】成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋に沿って行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。成功など、人としてなすべきことを果した結果生まれるカスに過ぎない以上、気にする必要など全くないのである。(p.220)

 

◆夢七訓

 

夢なき者は理想なし

理想なき者は信念なし

信念なき者は計画なし

計画なき者は実行なし

実行なき者は成果なし

成果なき者は幸福なし

故に幸福を求める者は夢なかるべからず

 

◆参考文献・引用元

渋沢栄一(1916)、『論語と算盤』(守屋淳 訳(2010)『現代語訳    論語と算盤』ちくま新書。)

 

◆所感

一読するに、今も昔も課題は大きく変わっていない。普遍的な課題には、普遍的なアプローチが有効かもしれない。論語と算盤は、二律背反する概念間をバランスさせる重要性を指摘している。

 

法制度強化と道徳教育、持続的競争優位獲得とSDGsグローバル化内需拡大、競争と共創、など概念間の振り子はいたるところにある。

 

武士も商人も、貴族も平民もない現在であるが、古典から得られる示唆は大きいことを確認できる一冊である。

 

細谷功(2014)『具体と抽象』dZERO。

◆概要

【執筆動機】

具体性という意味での「わかりやすさ」に対して疑問を投げかける(p.2)

 

【想定読者】

①抽象概念を扱う思考力を高めて、発想力や理解力を向上させたいと思う読者(p.3)

②周囲の「具体レベルにのみ生きている人」とのコミニュケーションギャップに悩んでいる人(p.4)

 

【主張】

人間の知性のほとんどは抽象化によって成立している(p.3)、をふまえ「具体と抽象の往復」(p.15)の重要性を理解する必要がある

 

◆本文抜粋

  • 序章   抽象化なくして生きられない

【目的】「抽象」と言う言葉に対して正当な評価を与え、「市民権を取り戻す」こと(p.14)

 

  • 第1章   数と言葉

【まとめる】数と言葉を成立させるためには「まとめて同じと考える」ことが不可欠(p.20)

 

  • 第2章   デフォルメ

【抽象化とは】「枝葉を切り捨てて幹を見ること」「細部を切り捨てて特徴を抽出する」(pp.26.27)

 

  • 第3章   精神世界と物理世界

【精神と抽象】抽象化によって人間の精神世界が何十倍にも広がっている(p.31)

 

【アカデミア】アカデミックな知も、抽象化という形で「表面上異なる複数の事象を同じに扱う」ことで発展してきた(p.35)

 

  • 第5章   関係性と構造

【抽象と似顔絵】具体のレベルは、基本的に「個別・バラバラ」の世界です。(中略)図解は、「世の中の事象の関係性」の「研ぎ澄まされた似顔絵」といってもいい(pp.37.39)

 

  • 第6章   往復運動

【コツ】「共通点と相違点」を適切につかんでいることが抽象化、ひいては例え話の出来栄えを決定する(p.42)

 

  • 第7章   相対的

【手段と目的】目的一つに対して手段は複数という形で階層が成立しますが、目的は常に、さらに抽象度の高い「上位目的」が存在します(p.47)

 

  • 第8章   本質

【抽象と本質】抽象度が上がれば上がるほど、本質的な課題に迫っていく(p.57)

 

  • 第9章   自由度

【自由と抽象】その人の好む「自由度の大きさ」を考慮する必要。(p.62)memo.丸投げ/高い自由度、捉え方

 

  • 第10章   価値観   ●第11章    量と質

【上流と下流】「質の上流VS量の下流」という視点もあります(p.69)

 

  • 第12章   二者択一と二項対立

【二項対立】早退する2つの概念を比較して考える手法(p.78)

 

  • 第13章   ベクトル   ●第14章    アナロジー

【抽象のマネ】具体レベルの真似は単なるパクリでも、抽象レベルで真似すれば「斬新なアイディア」となります。(p.88)

 

  • 第15章   階層   ●第16章    バイアス
  • 第17章   理想と現実

【感情と具体】人間は、個人レベルでは感情で動くことがほとんどですから、集団での目標を達成するためには、感情に訴えることが不可欠です。そのような場合必要なのは具体例、個人的な体験やストーリーということになります。(p.107)

 

  • 第18章   マジックミラー
  • 第19章   一方通行   ●第20章    共通と相違

「具体的すぎてわかりにくい」こともある(p.121)

抽象レベルを上げれば、「同じである」と捉えられる範囲が広がります(p.125)

 

  • 終章   抽象化だけでは生きにくい

 

◆参考文献

細谷功(2014)『具体と抽象』dZERO。

 

◆所感

有名な料理家である海原雄山先生は冷やし中華について「あんな下等な物」とあきらかに見下す発言をしている。

一方で、「中華料理」(抽象)としての「冷やし中華」(具体)という位置付けでは「作り方によっては」と条件付きで評価している。これらの発言は、「雄山の矛盾」として美味しんぼ界隈ではネタとされているが、実は「具体と抽象の往復」を利用した見事な釣り、という見方も可能である。

このように、抽象のフィルターを通すことで、具体の評価が変わることはありえる。たとえば、「人物Aを好きではない」と「映画俳優としての人物Aは好き」は両立しうる。したがって、海原先生は矛盾しない、、、、、と思いきや

中華料理としての冷やし中華もしっかり否定していました。

シェリー・ケーガン(2012)『「死」とは何か』文響社。

◆概要

【執筆動機・目的】

「死の本質について考え始めた時に沸き起こってくる哲学的な疑問の数々を検討する」(p.15)

 

ex.死んだらどうなるのか、存在し続けるとは、生き延びることの意味、死は悪いものなのか、自殺について

 

【想定読者】

死をしっかりと凝視し、賛否両論を徹底的に検討(p.21)したい人、初めて考える人にも、死と隣り合わせに生きる人にも役立つ入門書(p.22)

 

【主張】

誰もが皆、自分が死ぬことを本気で信じてはいない(p.64)、死ぬときは、結局独り(p.81)

 

◆本文抜粋

〇第1講「死」について考える

【暫定的な意見】本書で私が述べたことがこのテーマに関する決定的な見解などとは思い込まないでほしい。(p.23)

 

〇特別書き下ろし    日本の読者のみなさんへ

【魂と身体】(日本語訳版で含まれていない)その内で最も重要なのは、「二元論」の見方と「物理主義」の見方の区別だ。(中略)私たちの意識や思考、感情、欲望、記憶等は皆、何か非物質的なもの、何か体とは異なり、全く有形物ではなく、完全に違う種類のものに基づいている、あるいは依拠しているという見方だ。(p.25)

 

〇第2講    死の本質

【死の定義、P機能・B機能】死の瞬間を定義するにあたっては、どの機能が決定的に重要なのか?(人格説、身体説)(p.37)

 

〇第3講    当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張

【死を信じない根拠】「死んでいる自分」を想像できないから。「自分の体がいつか死ぬ」とは本当は信じていないから(pp.65-80)

 

〇第4講    死はなぜ悪いのか

【存在要件.ラリー】まったく生まれなかったと言うのは本当に最悪だと言えるだろう。(p.131)

 

【生前と死後】「生まれる前」と「死んだ後」の時間は、同じ価値を持つか(p.135)

 

【剥奪説】死のどこが悪いのかと言えば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。(p.146)

 

〇第5講    不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?

【不死と退屈・人格のジレンマ】不死は永遠に維持する価値があるものであり得るだろうか(中略)不死は実は、ぜひそこから逃れたくなるような悪夢となるだろう。(p.168)

 

〇第6講    死が教える「人生の価値」の測り方

【死の恩恵】人生が悪いものに変わらないうちに私たちは皆死んでしまうと言うのは、依然として正しいかもしれないのだ。(p.196)

 

〇第7講    私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題

【死と快】ひょっとすると私の遍在性は実は悪いことではなく良いことかもしれない。(中略)飛行機から飛び出すのが魅力的なのは、死の危険が急増するからだ。(p.219)

 

〇第8講    死に直面しながら生きる

【死と私】事実を無視することが、どうして私たちにとって理にかなっているなどと言うことがあり得るだろうか?(中略)事実を無視すると言うのは、知的に許容できる選択肢としては受けとめようのないものなのかもしれない。(中略)(しかし)ときには無視するのがふさわしいのだ。(pp.235-238)

 

〇第9講    自殺

〇死についての最終講義    これからを生きる君たちへ

【自殺】残念ながら、生きている方が良いとは、もう言えなくなる時を迎える人もいる。そしてそうなったら、人生は何が何でも、いかなる状況下でもしがみついていなければならないものだとは言えない。手放すべき時が来るかもしれない。(p.374)

memo.試合終了がランダムなサッカー

 

◆参考文献・引用元

Shelly Kagan(2012), ”Death (The Open Yale Courses Series)” Yale University Press. (柴田裕之 訳(2019)『「死」とは何か    イェール大学で23年連続の人気講義』文響社。)

 

◆所感

特に目新しくも無い思考実験を小難しく述べている印象。「お、、おう、、」という感。死を身近に感じると感想も変わるのだろうか。心が軽くなるのかもしれない。

 

こうした本を読んでいる時間も、死に近づくために費やされていることを忘れてはいけない。

デカルト(1637)『方法序説』岩波文庫。

原題=『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』(谷川2016 ,p.12)

◆概要

【執筆動機】

【学問の方法・ゼロベース】私がその時までに受け入れ信じてきた諸見解全てに対しては、自分の信念からいちどきっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。(p.23)→方法論へ

大して論争の種にならず、自分の望む以上に私の原理について言明させられることにもならず、しかも諸学問で私のできること、できないことを十分明晰に示すような題材(pp.98-99)

 

【想定読者】

学者

 

【主張】

【方法のススメ】私が選んだこのわずかな規則を厳密に守ったことで、このニつの学科の及ぶどんな問題も極めて容易に解けるようになり(中略)この方法によって、自分の理性をどんなことにおいても、完全では無いまでも、少なくとも自分の力の及ぶ限り最もよく用いていると言う確信を得たことだ。(pp.31-32)

 

◆本文抜粋

⚪︎第一部    学問に関する考察

【良識/理性・平等】良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。(中略)良い精神を持っているだけでは充分ではなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳を生み出す力がある。(p.8)

 

【目的】このように私の目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。(p.11)

 

【数学】私は何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。(p.15)

 

ストア派批判】(古代異教徒たち)彼らは美徳をひどく高く持ち上げて、この世何よりも尊重すべきものと見せかける。けれども美徳をどう認識するかは十分に教えないし、彼らが美徳という美しい名で呼ぶものが、無感動・高慢・絶望、親族殺しに過ぎないことが多い。(p.15)

 

⚪︎第二部    探求した方法の主たる規則

【スパルタ】スパルタが隆盛きわめたのは、その法律のひとつひとつが良かったためではない。(中略)そうではなく、それらの法律がただ一人によって草案され、その全てが同一の目的に向かっていたからである。(pp.21-22)

memo. ただ一人、統一感、シンプル、真理

 

【規則①明証】わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れない(p.28)

 

【規則②分割】わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。(p.29)

 

【規則③順序】わたしの思考順序に従って導くこと。そこでは、最も単純で最も認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を上るようにして、最も複雑なものの認識にまで登っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。(p.29)

 

【規則④枚挙】すべての場合に、完全な枚挙全体にわたる見通しをして、何も見落とさなかったと確信すること。(p.29)

 

⚪︎第三部    方法から引き出した道徳上の規則

【格率①国のルール】私の国の法律と慣習に従うことだった。その際、神の恵みを受けて子供の頃から教えられた宗教をしっかりと変わらずに守り続け、他の全てにおいては、私が共に生きなければならない人のうちで最も良識ある人々が実際に広く承認している、極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従って自分を導いていく。(p.34)

 

【格率②継続】自分の行動において、できる限り確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、極めて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。(p.36)

 

【格率③自分が変わる】運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努めることだった。そして一般に、完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。(pp.37-38)

 

【噂の推察】それは私が、少しばかり学問をした人が普通やるよりも率直に、自分の知らないことを知らないと告白したからに違いない。またおそらく、私が何か学説を一つでも誇示するよりは、他の人たちが確実だとしているたくさんの事について、私の疑う理由を示したからに違いない。しかし、私は実際の自分とは違うように取られたくないという正直な気持ちが強かったので、与えられた評判に値するように、あらゆる手段を尽くして努力すべきだと考えた。(pp.43-44)

 

⚪︎第四部    神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠

【哲学の第一原理】私は考える、ゆえに私は存在する(我思う故に我あり)というこの真理は、懐疑論者のどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(p.46)

 

【一般規則】私たちがきわめて明晰かつ判明に捉える事は全て真である、これを一般的な規則としてよい、ただし、私たちが判明にとらえるものが何かを見極めるのにはいくらかの困難がある、と。(pp.47-48)

 

【神】神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、我々の家にあるすべては神に由来すること。その結果として、我々の観念や概念は、明晰かつ判明である全てにおいて、実在であり、神に由来するものであり、その点において、真でしかありえないことになる。(p.54)

 

⚪︎第五部    探求した自然学の諸問題の秩序

(特に心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解明と動物の魂との差異)

memo. とっておきのチラ見せ説。

 

⚪︎最終部    自然の探求においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由で私が本書を執筆するに至ったか

 

【書く】多少とも重要だと判断するすべてのことを、その真理の発見に応じて書き続ける、しかもそれを、印刷させようとする場合と同じ位の周到な注意を持って書き続けることが本当に必要なのである。(p.87)

 

【ドヤ感】もし私の自然学の基礎を公表すれば、この時間を失う多くの機会ができるに決まっている。と言うのも、この基礎はほぼ全て極めて明証的で、理解しさえすればただちに真だと信じざるをえないほどあり、また一つとして論証できないと思われるものは無いのだが、それにもかかわらず、他の人たちの各種各様のあらゆる意見と一致するのは不可能であることから、これが引き起こす諸反論によって、私が度々仕事から心をさらされてしまうことが予想されるのである。(pp.89-90)

memo.訳.ちょっと頭を使えばわかることやけど世の中にはアホが多いからなあ…

 

【情報源】なおこの機会に後世の人たちに、私自身が公表したものでなければ、私の意見だと他の人が言っても、決して信じないようにお願いしておきたい。(p.92)

 

【探究方法】仮にもしかれらが、知らない事は何もないと見せる虚栄よりも、わずかでも真理を認識することの方が良いと考えるなら、(中略)だからといって、私がこの序説ですでに述べた以上のことを、彼らにいう必要は無い。なぜなら、もし彼らに私の成した以上のことをする能力があるとすれば、私が見出したと思っているもの全てを自分で見いだす力も、なおいっそうあるだろうから。(p.94)

 

【自力・苦労】さらに彼らが、最初は容易なことから探求し始めて、少しずつ段階を得て、他のもっと困難な事柄に移っていくことによって得られる習慣は、私の教示すべてよりもかれらの役に立つだろう。もし私が若い時から既に、後になってその論証を探求したすべての真理を人から教えられ、それを知るのに何の苦労もしなかったとしたら、それ以外の真理を知ることはできなかっただろう。(p.95)

 

【バイアス】このような実験は大部分、たくさんの周辺条件や余計な要素から成り立っていて、そこから真理を読み解くのはとても難しい。それに、実験をした人たちは彼らの原理に実験が一致するように見せようと努めるから、ほぼ全て、説明の仕方がまずく、間違っているものもあるので、役に立つものがいくつかあったとしても、それを選び出すために時間をかけるほどの価値は無い。(p.96)

 

◆谷川多佳子(2014)の解説と指摘

ヘーゲルの賞賛】

ヘーゲルは、デカルトは近世の思想の英雄であるといいます。そしてデカルト哲学を持って、ルネサンスを経た哲学の夜明けが始まる、と称えます。フランス思想ではデカルトを讃えたり、継承するものは数えきれません。(p.31)

 

【旅するデカルト

レンブラントの描く哲学者は書斎の中の哲学者で、部屋に閉じ込められているかのようだ。けれどもハルスの描いたデカルトはまるで違う。アムステルダムの運河を歩いたり、様々なオランダの都市を見たり、港で考えを巡らせたりするデカルトだ。哲学者は内面に向かうけれども、ときには外にも向かう、その両方がある。(中略)デカルトレンブラントの描くような書斎の哲学者ではない。自分の内側と外側を常に往復できる、移っていける、そういうデカルトの素晴らしさがこの絵に表れている。(p.34)

 

パスカルの批判】

パスカルは、自我は憎むべきである、無益にして不確実なデカルト、といいます。そして、デカルトはその全哲学の中で神なしで済ませたかったのであるが、世界を動き出させるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかず、「それから先はもう神に用がないのだ」と言い切ります。

 

ヴォルテールの批判】

デカルトは初めは幾何学を熱心に勉強し、いろいろな技術を発明し、「屈折工学」などのしっかりした仕事を残したけれども、彼は幾何学を捨ててしまった。あとは数学をやらなくなり他の学問に向かうが、後になればなるほど間違いが多い。結局、その体型は間違いだらけの体型になってしまって、しかもその体型に固執する精神、頭の固い小説でしかなくなってしまう。だから学問のない連中には本当らしく見える。(p.37)

 

現代思想との関係】

デカルト思想に対しては、例えば現在の環境問題や自然破壊のもとだというような見方もあります。脱構築ポストモダンは、デカルト的な近代哲学の軸を解体することにつながります。また、医学などの人体観や臓器移植の問題点に対しても、デカルトの二元論に問題の基礎を指摘する見方もあります。

 

【ベラヴァル先生の指導】

「論文は水準以上にできたが、あなたの日本人としてのオリジナリティーが見えない。あなた方はおそらく、私たちと異なる文化や思想の基盤を背負っていると思う。その視点を論文に表すことはできないだろうか」(p.54)

 

【本推薦】最近翻訳の出たロリス=レヴィスの「デカルト伝」(未来社、1998年)は最新の、非常にしっかりした見事な伝記です。(p.57)

 

【おわりに】

混乱し緊張した状況の中でデカルトは、まったく新しい近代の哲学と学問の基礎を築いたわけです。その思想に近代の人権や民主主義の基盤をみることもできます。科学技術や経済・社会の発展は、人間に様々な恩恵をもたらしましたが、しかし20世紀を終わった現在、今度はそこから派生したかもしれない弊害も、我々を取り巻いています。処方箋が見つかるわけではありませんが、「方法序説」を通してデカルトの歩みを目の当たりにする事は、問題の出発点を具体的に感じ取ることを可能にしてくれるかもしれません。(p.180)

 

◆参考文献・引用元

René Descartes(1637), ”Discours de la méthode”(谷川多佳子 訳(1997)『方法序説岩波文庫。)

谷川多佳子(2014)『デカルト方法序説』を読む』岩波書店

石井遼介(2020)『心理的安全性のつくりかた』日本能率協会マネジメントセンター。

◆概要

【執筆動機】

「人々が率直に話せる状況を作ることが、激しく変化し続ける時代における組織とチームの未来を作るために重要な仕事」(p.4)だが、現実には「率直に意見を言うこと、質問をすることが、状況や立場にとっては、とても難しい」(p.4)ことにノイズを感じた。加えて「危機の時代にこそ心理的安全性が必要」(p.6)であるため。

 

【想定読者】

マネジメント層(役員、事業部長、プロジェクトマネージャー、チームリーダーなど)

 

【主張】

心理的安全性によって、効果的な組織、チームが作れる。(p.4)

 

◆本文抜粋

①チームの心理的安全性

エドモンドソンの定義】「チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクを取っても大丈夫だ、と言うチームメンバーに共有される信念のことを」(p.22)

 

心理的「非」安全性】

「良かれと思って行動しても、罰を受けるかもしれない」(p.23)

4つのカテゴリ→「無知」「無能」「邪魔」「否定的」(p.25)だと思われたくない。

 

心理的「非」安全な職場では、いつの間にかメンバーは必要なことでも行動しなくなってしまう(p.26)

 

最も重要な心理的安全性確保のメリットは「チームの学習」が促進されること(p.28)

【健全な対立、ヘルシーコンフリクト】心理的安全性が担保されている状況下では、タスクのコンフリクトだけは業績にプラスの影響がある(p.44)

 

日本の組織では、①話しやすさ、②助け合い、③挑戦、④新奇歓迎の4つの因子がある時、心理的安全性が感じられる(p.49)

 

心理的安全性に変革をもたらすには「3段階」があります。(p.58) →「構造、環境」「関係性、カルチャー」「行動、スキル」

【構造、環境】→「パワーバランス」「組織構造」「ビジネスプロセス」「業態上の制約」

 

組織に心理的安全性をもたらすリーダーはあなたです(p.70)

 

②リーダーシップとしての心理的柔軟性

【リーダーシップスタイル】(p.77)

トランザクショナル(取引型)、トランスフォーメーションナル(変革型)、サーヴァント、オーセンティックなど

 

心理的柔軟なリーダーシップとは、状況に合わせて、場面ごとに、より役に立つリーダーシップを切り替え使い分ける柔軟性を持つ(p.81)

memo.何も言ってないのと同じ。結局リーダーシップが大事だよねというよくある話にしてもややひどい部類。この先、読む気を失わせる文章。

 

「自信それ自体は存在しない。いくつかの行動パターンに、自信というラベルを貼ってているだけだ」と捉えます。(p.88)

 

変えられるものと変えられないものをマインドフルに見分ける(p.98)

「配られたカードで戦うしかない。それが何であれ」「それでも人生にイエスと言う」(p.116)

 

memo.抽象度が高いどころのはなしではない。リーダーシップ論→精神論→瞑想(迷走?)のコンボ。心理的安全性の話との関連を説得するプロセスが十分でない。

 

③行動分析でつくる心理的安全性

行動は「きっかけ」と「見返り」で制御されている(p.158)

無意識のきっかけで行動が制御されている(p.166)

 

叱責など厳しい指導をせずに、しっかりとスキル、品質を上げる育成方法が、「プロンプト」です。(p.223)

 

④言葉で高める心理的安全性

心理的安全性導入アイデア

「感謝を伝えましょう」「普段から気にかける」「メンバーの立場になる」など一般論に。抜粋する内容はないと判断

 

◆【追記】エイミー・C・エドモンドソン(2021)『恐れのない組織「心理的安全性」が学習、イノベーション・成長をもたらす』英治出版

【はじめに】価値創造にはまず、あなたの持つ才能を最も効果的に活用する必要がある。(p.11)

 

【執筆動機・目的】

知識とイノベーションなくして競争上の優位を得られない事は今や誰もが知っている。(中略)本書の目的は、そうした成長・成功を手伝うこと。そして知識集約型組織がより効果的に活動できるようになるための新たな考え方と方法を伝えることだ。(p.12)

 

【問題意識】(p.12)

①彼らの知識が必要とされていることを、彼ら自身が認識できていない

知識労働が真価を発揮するためには、人々が知識を共有したいと思える職場が必要

③今日の職場で、人々が本当の考えを言う事はほとんどない

 

【有能・ミス】どうも、有能なチームほど、そうではないチームに比べてミスを多くしているように思われる。(p.33)

 

心理的安全性の誤解】

感じ良く振る舞うこととは関係がない、性格の問題ではない、信頼の別名ではない、目標達成基準を下げることではない(pp.41-45)

 

【マネジメントと心理的安全性】

高い基準の設定と良いマネージメントを、多くのマネージャーが混同している。(p.105)

 

【弊害】心理的安全性が欠けていると、うまくいっていると言う錯覚が生まれ、やがてビジネス上の重大な失敗を引き起こしてしまう。(p.106)

 

【効用】不十分な点に関して早くに情報を出すと、将来起きるかもしれない大失敗の規模と影響、およそ常に小さくできる。(p.106)

 

【ジグザグ進む】組織で心理的安全性を作り始めると、既知のことも多いが、未知のことにもたくさんぶつかる。(中略)ヨットは目標に対して45度の角度で前進するが、目標に近づくと進行方向を逆の45度に変え、「ジグザグに進む」のである。(中略)心理的安全性をつくる事は、大小様々な調整を絶えず繰り返しながら、最終的に前進となるプロセスである。ヨットが風上へ向かってジグザグに進むのと同様、あなたは、望み通りの方向へ進むことも風向きがいつ変わるかを知ることも決してできない中、右へ左へ適宜方向を変えつつ、前へ進んで行かなければならないのである。(pp.259-260)

 

◆参考文献・引用元

石井遼介(2020)『心理的安全性のつくりかた    「心理的柔軟性」が困難を乗り越えるチームに変える』日本能率協会マネジメントセンター

 

エイミー・C・エドモンドソン(2021)『恐れのない組織「心理的安全性」が学習、イノベーション・成長をもたらす』英治出版

 

◆所感

心理的安全性の重要性が示された序盤は説得力があった。一方、方法論のフレームワークに関しては納得性に乏しい。

 

 

誤った内容こそ書かれてはいないが、一般論としてのリーダーシップ、行動分析、コミニュケーションスキルの紹介にとどまっていると言わざるを得ない。心理的安全性に焦点を当てた記述としては不十分。

 

 

【追記】

合理的判断の積算の結果として心理的安全性が低くとどまる職場にとって、本書は必要度が高い。「多少無理してでもやるべきですよ」という主張だ。

 

つまり普通にはなかなかできないことを、無理してでもやるべき理由を説得することに意味がある。その説得が成功してはじめて、マネジャーは行動を変容させ、結果として職場環境は改善される。

 

エドモンドソン(2021)は「心理的安全性をつくる事は、大小様々な調整を絶えず繰り返しながら、最終的に前進となるプロセスである。」と述べている。一筋縄ではいかない。

 

指導と恐れ、気遣いと遠慮、無能力への寛容さ、有能への牽制、尊重と規律などのジレンマを抱えながら、前進していかなくてはならない。

マルクス・アウレーリウス(2C)『自省録』岩波書店。

◆概要

【執筆動機】

成立の経緯、著作の意図、本文の伝承経路のいずれもが、今なお深い霧に覆われている。(荻野2009 p.3)

 

【想定読者】

読者を想定した通常の「著作」とは異なって「日記」や「備忘録」に近いかもしれない。(荻野2009 p.3)

 

【主張】

多岐にわたる

 

◆本文抜粋

○第1巻

【読書】注意深くものを読み、ざっと全体を概観するだけで満足せぬこと。(p.13)

少年への恋愛をやめさせること。(p.17)

memo.これは草

 

【過ち・運】もっとも私は機会があれば、そのようなことをしでかす性質を持っていたのであるが、神々の恩恵により、かかる試みに私を合わすようなまわり合わせが起こらなかったまでのことだ。(p.20)

 

【才能・運】修辞学や詩学やその他の勉強においてあまり進歩しなかったこと。もしこれらにおいて自分が着々と心境を示していると感じたなら、私はおそらくそれに没頭してしまったことであろう。(p.21)

memo.第一巻根底思想→「とにかくラッキーやったわ」

 

○第2巻

【早くやれ】思いおこせ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えていただいておきながらこれを利用しなかったか。(p.26)

 

【挑戦】せいぜい自分に恥をかかせたら良いだろう。恥をかかせからいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。(p.27)

 

【現在を生きる】何人も過去や未来を失うことはできない。(中略)人が失いうるものは現在だけなのである。(p.32)

 

○第3巻

【判断力】もうろくし始めると、(中略)すでに人生を去るべき時ではないかどうかを判断すること、その他全てこのようによく訓練された推理力を必要とする事柄を処理する能力は真っ先に消滅してしまう。(p.35)

 

【現在を生きる2】他のものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間に過ぎない現在のみを生きるのだと言うことを。(p.43)

 

○第4巻

【煩うな】その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、煩わしいのはただ内心の主観から来るものに過ぎないということ。もう一つは、すべて君の見る所のものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうと言うこと。(p.51)

 

【自律】君に害を与える人間がいだいている意見や、その人間が君いだかせたいと思っている意見をいだくな。あるがままの姿に物事を見よ。(p.54)

 

【自律・余暇】隣人が何を言い、何を行い、何を考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮るものは、なんと多くの余暇を得ることであろう。(p.55)

 

【普遍】昔使われていた表現は今ではもうすたれてしまった。(中略)すべてすみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。(中略)では我々の熱心を注ぐべきものは何であろうか。ただこの一事、すなわち正義にかなった考え、社会公共に益する行動、嘘のない言葉、すべての出来事を必然的なものとして、親しみのあるものとして、また同じ源、同じ泉から流れているものとして歓迎する態度である。(pp.62-63)

 

【魂と肉体】エピクテートスが言ったように「君は一つの死体を担いでいる小さな塊に過ぎない。」(p.65)

 

【ストーリー・順序】後に続いて来るものは前に来たものと常に密接な関係を持っている。(中略)そこには合理的な連絡があるのである。そしてあたかもすべての存在が調和をもって組み合わされているように、すべて生起する事柄は単なる継続ではなくある驚くべき親和性を表しているのである。(p.66)

 

○第5巻

【悪人】不可能事を追い求めるのは狂気の沙汰である。ところが悪人がこのようなことをしないのは不可能なのである。(p.83)

 

○第6感

【いずれにせよ問題無い】もし神々が私について、また私に起こるべきことについて協議したとするならば、必ず賢い協議をしたのである。(中略)もし神々が我々について何も競技しないならば、ともかく私自身は自分のことについて考えることを許されており、自分の利益について検討することができる。

 

【幸福】名誉を愛するものは自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛するものは自分の感情の中にあると思うが、物のわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。(p.114)

memo.ショーペンハウア

 

○第7巻

【悪徳】悪徳とは何か。それは君がしばしば見たことのあるものだ。一般にあらゆる出来事に対して「これは君がしばしば見たことのあるものだ」という考えを念頭に用意しておくが良い。(中略)一つとして新しいものはない。すべてお決まりであり、かりそめである。(p.116)

 

【捉え方】自分に起こったことを悪い事と考えさえしなければ、まだ何ら損害を受けていないのだ。そう考えない自由は私にあるのだ。(p.120)

 

【虚い】遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。(p.123)

 

【努力】人の話についていくために出来る限り努力せよ。物事の結果や原因の中へ心ではいり込むようにせよ。(p.126)

 

【大衆の非難】善事をなして悪く言われるのは王者らしいことだ。(p.127)

 

【孤独・幸福】人間が自分を周囲から孤立させて自分のものを自分の勢力範囲に置くことが許されないほど、それほど自然は君を全体の混合物の中にすっかり混ぜ合わせてしまっているわけではない。事実神々しい人間でありながら誰にもそうと気づかれないでいる事はきわめてありうることである。(pp.137-138)

memo.ショーペンハウア

 

【悪】笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪を避ける。ところがそれは不可能なのである。(p.139)

 

○第8巻

【虚栄心】つぎのこともまた虚栄心を棄てるのに役立つ。(中略)人が君のことをなんと思うかなどと気にするのはやめて、君の余生が長かろうと短かろうと、これを自然の欲するがままに生きることができたら、それで満足せよ。(p.141)

 

【怒り】よし君が怒って破裂したところで、彼らは少しも遠慮せずに同じことをやり続けるであろう。なによりもまず、いらいらするな。(p.143)

memo.セネカ

 

【反応しない】「この胡瓜は苦い。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。(p.160)

 

○第9巻

【不正】罪を犯すものは自分自身に対して罪を犯すのである。不正なものは、自分を悪者にするのであるから、自分に対して不正なのである。あることを成したために不正である場合のみならず、あることをなさないために不正である場合も少なくない。(p.170)

 

【煩労】こんにち私はあらゆる煩労から抜け出した。というよりもむしろあらゆる煩労を外へ放り出したのだ。なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである。(p.173)

memo.ショーペンハウア

 

【怒り】ところで君はどんな被害を被ったのか。君が憤慨している連中のうち誰一人君の精神を損なうようなことをしたものはいないのを君は発見するであろう。君にとって悪いこと、害になることは絶対に君の精神においてのみ存在するのだ。(p.185)

memo.セネカ

 

○第10巻

【ぶつぶつ言うな】すべての出来事は、君が生まれつきこれに耐えられるように起こるか、もしくは生まれつき耐えられぬように起こるか、そのいずれかである。故に、もし君が生まれつき耐えられるようなことが起こったら、ぶつぶつ言うな。君の生まれついている通りこれに耐えよ。しかしもし君が生まれつき耐えられぬようなことが起こったら、やはりぶつぶつ言うな。その事柄は君を消耗し尽くした上で自分も消滅するであろうから。もっとも自分の身のためであるとか、そうするのが義務であるとか、そういう考え方次第で、つまり自分の意見一つで、耐えやすく、我慢しやすくできるようなものもあるが、このようなものはすべて君が生まれつき耐えられるはずのものであることを忘れてはならない。(pp.188-189)

 

○第11巻

【無関心】最も高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中に備わっている。ただしそれはどうでも良い事柄に対して無関心であることを条件とする。(p.217)

 

○第12巻

【自己肯定感】もういい加減で自覚するがいい。君の中には、(中略)もっと神的なものがあるということを。(p.236)

 

【主観】すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。(p.237)

 

【おわりに】人よ、君はこの大なる都市の一市民であった。(中略)だから満足して去って行くが良い。君を解雇する者も満足していられるのだ。(p.244)

 

memo.ダイモーンが代紋みえて集中を奪う。

 

【訳者解説・ストア哲学ストア哲学は、その実践倫理に特有の思想として、我々の自由になることとならぬことの区別を強調する。(中略)人間の幸福と精神の平安は徳からのみ来る。徳とは宇宙を支配する神的な力、すなわち「宇宙の自然」に服従し、その自然のなすことを全て喜んで受け入れることにある。(pp.314-315)

 

◆荻野弘之(2009)の解説より

ストア派】一見しただけでは雑多で無秩序な集積としか見えないテクストの深層に、実はストア倫理学の規則が変奏曲のように、少しずつ転調しながら反復、展開する様が見えてくる。(p.5)

 

哲人政治】同時代からすでに彼の生涯はプラトンの「哲人王」の実現とも評される(中略)多忙な政務の折節に書き綴ったごく私的な備忘録『自省録』というただ一冊の小冊子によって、哲学史上に不滅の名を残すことになった。(p.11)

 

【訳者・神谷美恵子の回顧】

マルクス・アウレリウスは過去も未来も問題するに足りない、現在だけをよく生きることに専念するが良い、と至るところで言っている。(中略)「生存の重さ」を教えてくれた。(p.14)

 

【エリート教育、生い立ち】

六歳という異例の若さで騎士階級に叙せられる。(中略)一般の学校には通わず、もっぱら家庭教師について自宅で学んだ。(中略)若干十八歳で次期皇帝に指名されて、パラティヌスの丘の皇宮に移住した。(pp.19-20)

 

キリスト教との関係】

『自省録』には確かに福音書を連想させる断章が散見され、また全編を覆う敬虔な宗教的雰囲気が後代のキリスト教徒の読者を魅了した理由でもあるが、その成立自体はキリスト教の知識とは独立であろう。(p.26)

 

エピクテトス・思想を継承】

認識、欲求、行為の三領域のそれぞれに関してエピクテトスが構想するストア哲学の三つの規則は、相互に密接な相補関係に立ちながら、その強靭な論理によって逆説的な人生の模範を造形したのである。そしてこの三つの規則は、その表現に変成を加えつつもほぼそのままの構造を保持したまま『自省録』の中にも姿を現している。マルクス帝がエピクテトスの思想を継承しているというのは、まさにこの点においてなのである。(p.51)

 

【詩人マシュー・アーノルドの感想】

セネカの文章は知性を刺戟し、エピクテトスの文章は気概を強め 、マルクスの文章は心に沁み入る(p.139)

 

【神谷訳について】

神谷訳はストア哲学の専門用語についての理解が十分でなく、肝心の基本概念がその都度不必要に訳し分けられたりする欠陥も目につくが、その簡潔で雄勁な翻訳の文体は読者に強い印象を与え、まさに「名訳」といえる表現に達している箇所も少なくない。(p.142)

memo.これ褒めてんの?

 

◆参考文献・引用元

Marcus Aurelius Antoninus(2C), "Ta eis heauton"(神谷美恵子訳(2007)『自省録』岩波書店。)

荻野弘之(2009)『書物誕生 あたらしい古典入門 マルクス・アウレリウス「自省録」精神の城塞』岩波書店